泥だんごワークショップ

 「光る泥だんご」

かつて、日本の住宅では土壁を見ることができましたが、現在はクロスが主流となり
土壁を見ることが少なくなりました。
樹脂を混ぜ、いかに早く簡単に施工できるか、様々なメーカーが便利なものを
作り出し、昔の職人さんの知恵と技術を知る機会もなかなかありません。
私にとっての土の師匠である「田村 和也」さんにお会いしたのはもう10年以上も
前のことです。田村さんからは左官の技術を教わったり、泥だんごのワークショップの
お手伝いをしたり、色々なことを土を通して教わっています。
全国の日本の土の色(写真:田村和也氏提供)
その経験を生かし、今日茅ヶ崎の海に近い小学校で泥だんごつくりをしてきました。
真剣に教えていたら、すっかり泥だんご製作風景の写真を撮るのを忘れてしまいました。
終わった後の教室の風景です。。。
ぴっかぴかの泥だんごをみんなとっても嬉しそうに、大切にお家に持って帰りました。
今は少なくなった土壁ですが、その原点である泥だんごがこれからもずっと、残ってくと
いいなと思います。
kumiko
泥だんごの芯:このジャガイモのような芯を丸く真球にし色を付け、ぴかぴかにします
ぴかぴかに光った泥だんご

矢口農園

 工房周辺の水田の田植えもすっかり終わり、若い稲の鮮やかな緑が日に日に密度を増している。

その新緑の広がりが、一斉に風に揺れる風景はなんとも涼やかで心地良い。
数週間前、二十歳過ぎぐらいの若者が田植えをしていたので眺めていると、軽トラックから
苗を降ろしていた親方が話しかけてきた。小柄だけどがっしりとした体つきの麦わら帽子姿の
矢口さん。真っ黒に日焼けした、人懐っこい笑顔が印象的だった。
60代の矢口さんは、日本の農業の将来を考え、会社組織を作って、若い農家を育てているという。
30代の若者を社長として起用し、経営を任せ、矢口さん自身は常に20代の若者たちと一緒に
田んぼや畑に出て、直接指導している。
主に不耕作農地を使って生産される作物は、「矢口農園」の名で、青山ファーマーズマーケット
にも出品している。
ご自身も若い頃仕事で、アメリカ各地やカナダ、ドイツ、スイスなど世界各国に何度も足を
運んでいたそうで、僕のフィジーでの生活の経験にも興味を持ってくれ、暫く立ち話をしていた。
矢口さんは、これからは日本の農家ももっと世界を知り、幅広い知識や経験、人間性を持つ
必要があると考えているようで、近い将来、若い社員たちを海外につれて行く計画もあるという。
日本の農村もヨーロッパのそれのように、明るく、「豊かな」日常のある、文化レベルの高い場所に
なってくれるといいと思う。
それ以来、矢口さんは時折、僕の工房に顔を出してくれるようになった。いつも突然、
ひょっこりと。一人だったり、若い社員を連れて来たり。
それにしても、矢口さんはいつもとてもいい顔をしている。こんなにいい顔をした大人と
一緒に仕事をしている若い社員たちは本当に幸せだと思う。
僕にとってもそうだ。こういう大人が近くにいると思うだけでなんだかうれしい気持ちになる。
今日も突然、ひょっこりと工房に現れて、タマネギをどっさり置いていってくれた。
takashi

半月

 Michel Camiloの”LUIZA”が終わったところで音楽を止めると、

すっかり日の暮れた窓の外からウシガエルの太く低い声が一層大きく響いてきた。

あの体のどこでこんな声を響かせているのだろう。
工房の戸締まりをして外に出ると、目の前を二匹のタヌキが横切り、
向いの竹やぶの中に駆け込んで行った。
池の上の空には、うっすらと雲に覆われた半月の柔らかな光が広がっている。
深く、静かな夜の始まりだった。
僕は少しためらいながらバイクのエンジンをかけ、家路についた。
takashi

キッチン収納

お客様との対話を通して作り上げていく家具。
作り手の知識や経験に、お客様の要望、アイデアが混ざり合って初めてできるかたち。
それが特注家具のおもしろさの一つだと思っている。
キッチンとダイニングを仕切る両面使いの家具。キッチン側には大容量の収納。
2口コンセント2カ所、引出し2杯、開き戸、スライドトレー。
ダイニング側は奥行きの浅い飾り棚として。照明が2カ所。折りたたみ式テーブル付。
多彩な機能を持つ道具としての家具でありながら、間仕切りとしての役割も果たしつつ、
空間全体の雰囲気を心地良いものするようなもの。
こんな要望からこの家具の製作は始まった。
コンセントや照明の配線をパネルの中に通すため、フラッシュ構造で作ることにした。
構造が複雑なため、何工程にも分けて組み立ててゆく。
お客様は製作中、何度も工房に足を運んでくれ、製作過程を見ては、イメージを膨らませていた。
それは作り手にとっても幸せな時間だった。
配線はパネルの中を通して地板に抜き、台輪にスイッチを取付ける。




ものが収納され、小物たちがセンスよく配置され、明かりが灯される。
家具は以前からその場所にあったかのように空間の中にしっくりと佇んでいた。
takashi

中村好文展「小屋においでよ!」

 「住宅とは何か?」
この展覧会が、来場者のひとりひとりにとって、小屋を通じて考える

またとないきっかけになってくれますように・・・。(中村好文)
ギャラリー間で開催中の建築家、中村好文展「小屋においでよ!」
開催時よりずっと気になっていた展覧会。行ってきました。

3Fスペースは「古今東西の7つの小屋」
杉板で作られた小屋がいくつかあり、その中には好文さんが影響を受けた
究極の小屋の生活が紹介されています。

中庭には「Hanem Hut」と名付けられた自給自足型の一人暮らし用の小屋があります。
3.6坪の空間は、建物や家具はもちろん、細かい金物や薪ストーブまでデザインされていて、
その一つ一つが見た目のデザインだけではなく、そこでの行為をとても大切に考え、
設計されているのが伝わってきました。好文さんの私物が多く置いてありますが、それが
置いてあることで初めて空間が意味あるものになるのです。
そこは、小さいけれどゆったりとした豊かな時間が流れていました。
豊かな暮らし、居心地のいい空間とは広さではないことを教えてくれるものであり、
まさに「住宅とは何か?」の問に対する好文さんの思想が感じとれます。

4Fは好文さんが手掛けてきた「小屋」の写真やスケッチが展示されているのと、
中庭のHanem Hutのスケッチから実施図まで一式展示してあります。

住宅とは人が生活する空間です。
生活するとは。。。おそらく、10人いれば10通りの違いがあると思います。
同じ行為でも、人の体の大きさ、もっているもの、くせ、好みなど様々です。
家具や空間はそれぞれに合わせて作られるものが、理想のあり方だとわたしは考えています。
それは、広い空間の部屋があるとか、高価な家具があるというのではなく、
必要最低限、というかその行為に十分な家具や空間(見方によっては質素かもしれないが)。
そこが緻密に考えられたもの、質の高いものが使う人にとっての豊かな空間になるのでは
ないでしょうか。まさに、好文さんの小屋で感じることができました。

家具や空間を設計製作するもののひとりとして、
使う方の行為をどこまで想像でき、豊かなものにするか。
ひとつひとつ丁寧に真摯に向き合っていきたいと改めて思った展示会でした。

kumiko

中村好文展「小屋においでよ!」(ギャラリー間/~6月22日 日曜月曜祝日休み)
是非、足を運んでみてください。おすすめです。 

HP:http://www.toto.co.jp/gallerma/

 

30年の椅子

作業台の上に並べた古い椅子たちを前に、様々な物語に想いをはせてみる。
背や肘掛けは擦れて、塗装も剥げているし、組立て部のホゾはゆるんで、少し揺らしただけでギシギシと音を立てる。
だけど、長い間大切に使われてきたその椅子たちには、ゆったりとあたたかな存在感があった。
30年も使われてきたという4脚の椅子の修理の相談を受けたとき、僕はとてもうれしい気持ちになった。もう古くなってしまったけれど、思い入れのあるもの。ご自身でも何度も修理しながら使ってきたという。それでもまだ新しいものに買い替えるのではなく、「きちんと」修理して、長く使いたいとのことだった。
なんと豊かなことだろう。喜んで修理を引き受けることにした。
接着剤を溶かしながら、慎重にホゾを抜き、全てのパーツを分解してゆく。
お客様がご自身で入れられたらしい接着剤の層、30年前に作られたときのそれ。分解した組立て部を奇麗にしてゆくと、この椅子を作った職人さんの入れた刃物の跡が見えてきた。
僕はその見知らぬ職人さんに伝えてあげたかった。
「この椅子を買われたお客さんは、30年も大切に使ってきて、今、修理して、これからさらに長く使っていこうとされていますよ。」と。
木が痩せてゆるくなったホゾに、薄く削った木を貼り、きつく組めるように調整する。
古い塗装を全て剥がした後、接着剤を入れ、クランプでしっかり固定して組み直す。
もとの色に近くなるよう着色塗装して、修理は完了した

30年にも及ぶ物語に少しだけ参加させていただいて、この物語はまた続いてゆく。


takashi



「小さな額の中の磨き土壁」

わたしが土という素材にで出会ったのは、10年以上前になるだろうか。

色々な天然素材や伝統技法に触れるたびに、パソコンで作られたグラフィックデザインと
伝統技法が融合されたものができないかなぁ。。。と漠然と考えていた。
そんなとき(2年前になるが)、友達が床屋をオープンする話があり、
そのロゴを見せてもらう機会があった。見たときに、土(大津磨き)で作ってお祝いにあげたいな。
と、頼まれもしないのに、勝手に作ってしまったものが、これである。

お店の端(お手洗い)にでも・・・と言って渡したが、今は、彼の好きな音楽のジャケットと共に、

お店の大きなRCの壁面にでーん と飾ってもらっている。

     

 

「小さな額の中の磨き土壁」


日本の土壁。天然素材である「土」のもつ、やさしさ。

中でも光沢があり、水拭きもできる土壁として幻になりつつある「大津磨き壁」。

天然土と石灰をブレンドし、コテで磨き上げるその「伝統技法」を

現代のグラフィックアートに融合。

使用した材料は「兵庫県出石白土・沖縄県赤土・天然藍顔料と石灰」。


この小さな額の中に、古き良き時代の日本の文化をほんの少し織り込むことができたと

考えています。地球環境が変化し始め、温暖化が進む今、この先ペンギンたちが

生きることができなくならないよう、製作を通してできる小さなこと、

 大切にしてきたいと思います。

                                 kumiko


松尾建設 ショールーム家具

偶然か必然か、人生の岐路に立ったとき、次の決断を後押ししてくれるような

大切な出会いに恵まれることがある。

青木社長との出会いは僕にとって、そういった出会いの一つだったと思う。

僕が2年間の海外生活を終えて帰国し、この国で生活していくことに興味を

失いかけていたときのことだった。

真夏の明るい光に包まれた茅ヶ崎、雄三通り。陽気な雰囲気の通りを南に向かって歩く。

海の気配が濃くなってきたあたりに松尾建設はショールームを構えている。
Tシャツにビーチサンダル姿の青木さんのフランクで明るい口調に、初めて会ったにもかかわらず、

僕はすっかりリラックスしていた。
今までやってきた家具作りのこと、数ヶ月前までいたフィジーでの暮らしのこと、

これからのことなど話して過ごす。
そのときすでに僕はその人柄に惹かれていたと思う。こんなに懐の深い人に

今まで会ったことがあっただろうか。
青木さんの人柄のせいか、松尾建設のスタッフはいつも生き生きと仕事をしているように見える。

陽気な現場監督さんたち。ひときわのほほんとした雰囲気の鈴木さん。

そのとぼけた存在感にはいつもあたたかい気持ちにさせられる。

「ここの家具作ってよ」
と、青木さんが言う。ちょうど松尾建設のショールームを改装する予定だという。

それに合わせて家具も作ろうかという話だった。
そうは言っても、初めて会ったばかり。僕が作ったものだって、数枚の写真を見てもらっただけ。

それ以外に見せられるものもまだない、駆け出しの身。
もちろん、本当に作らせてもらえるとは思っていなかった。青木さんの軽い感じの発言が、

実は全然軽くないのだということに、そのときはまだ気付いていなかった。

それから約2ヵ月後、青木さんからショールーム改装にともなう家具の製作依頼をいただいた。
受付カウンター、キャビネット、打ち合わせテーブル天板2枚。
まさか、こんなに大きな話になるとは。
これがhalf moon furniture workshopを本格的に始動させるきっかけとなった。

今回の設計は、建築士の細谷さん。もらった図面をもとに、細谷さんが大切にする部分と、

製作サイドから材料の性質や、家具としての機能を考慮した収まりや構造を検討し、

すり合わせ、細部のデザインを詰めていく。
松尾建設の明るい雰囲気を重視して、全ての家具をタモ無垢材で製作することになった。

長さ約3mの荒木の材が20枚近く工房に届き、製作が始まった。材料を工房中に並べてながめ、
どれをどこに使おうか、よりわけながら木取っていく。木屑にまみれ、それぞれの材を

寸法に削りながら、わくわくした気持ちになる。

打ち合わせテーブルの天板にカンナをかけながら、このテーブルにどっかり腰を下ろして

いつもの人懐っこい笑顔でスタッフと談笑する青木さんの姿を思い浮かべ、

キャビネットの引き戸を作りながら、暇そうな鈴木さんが意味もなく引き戸をからから、

開け閉めして遊んでいる様子を想像しては、一人笑みをこぼしながらの作業となった。

約一ヶ月の製作期間を経て、全ての家具の製作が終了した。

数日前に改装工事が終わったばかりのショールームに家具を設置していく。以前からの

オープンで明るい雰囲気は残しつつ、茅ヶ崎の地にふさわしい、より洗練された

新しいショールームに僕たちの作った家具がしっくりと馴染んでいる姿を見て安心する。

w2000の受付カウンター。前面ルーバー部は、細谷さんの今回一番のこだわり。

日が暮れてきた頃、どこからともなく現れた鈴木さんが、ゆっくりとした足取りで

キャビネットの方に近付いてゆき、引き戸をからから、からから、

動かしては笑みを浮かべていた。

takashi

WORKSHOP

 

「WORKSHOP」
日本では参加して何かをつくるというイベントのような意味で広がっていますが、
本来は『工房』という意味もあります。
スタートしたばかりの工房。少しずつ、内部と外部に彩りをあたえていこうと思っています。
GWの晴れた日。まずは、外の木部分を白くすることから始めました。
工房内部は、「領域のない空間」というのが理想です。
従来の「工場・ショールーム」と完全に仕切るのではなく、工場なんだけれど全体が家具の
ショールームとなっているような空間。まだ、旦那さんと構想(妄想?)中ですが、
こちらも徐々に整えていきます。

作り手と対話ができるオープンな場であり、いろいろなことがここから生み出せる
WORKSHOPになることを目指して。。。

kumiko

blue maple stool

 

「こんな生地の色がいいな。」
私たちが以前つくったキッチンスツールを気に入ってくれたRちゃんより
彼女の好きな「ブルー」の色の座面でスツールを作って欲しいとの依頼をいただきました。
落ち着いた感じのみずいろ。
自分の好きな色を家具に取り込むというのは、オーダー家具のひとつの楽しみでもあります。
世界にたった一つのキッチンスツールとなるのです。
以前は脚をナラ材でつくったのですが、座面の水色に合わせ、彼女は「maple」を選びました。
mapleはピンクがすこし入っているような、とても品のある奇麗な白色の材種です。
木材に限らず、自然のものはとっても色が深く、単純に白とか茶色では表現しきれません。
吉岡幸雄氏著書の「日本の色辞典」という本があります。わたしたちは白、赤と表現しがちですが、
もっと色を表現する言葉は多くあります。古来より自然の色を尊ぶ日本人としての心を忘れてはいけないですね。この話はまた後日。。。

 

よりよいフォルムにするため、数カ所改良をし、このスツールにとってはじめての
「blue maple」バージョンができあがりました。
できあがったスツールは、不思議とRちゃんらしいものになりました。
とても品があって奇麗なスツールです。
依頼をもらってから1ヶ月後。
Rちゃんがいる函館にこのスツールは旅立ちました。
無事届いたスツールを手にしたRちゃんより、こんなメールを頂きました。
 『本日スツール届きました~!
  とっても素敵でしっかりしていてすごくうれしいです。
  自分で選ばせてもらったし、くっぴー夫婦につくってもらったので、
  まだ手にしたばかりだけど、やはり他の家具に比べたら思い入れがありますね。
  自分でいうのもなんだけど、私らしいなと思いました☆』
このメッセージを読んで、とっても嬉しかったと同時に心が浄化されました。
これから5年間、タイで暮らすRちゃん家族。
そんな家族と共に時を過ごしているblue maple stool をわたしは時々思い出すことでしょう。
わたしにとってのもうひとつの世界ができました。
kumiko

AVボード、キャビネット製作

雰囲気のある古いマンション。
リビングとダイニングには、気に入ったものを、
少しずつ買い足しているという家具たちが自然に
配置されている。
気に入ったものを少しずつ。
なんと、心地のいい響きだろう。
ここに、新たにAVボードとキャビネットを
作らせてもらうことになった。
ダイニングテーブルに図面を広げ、最終的な打ち合わせをして、
細かい仕様やおさまりを決めていく。
風邪をひいたらしい小さな息子さんが、おでこに冷えピタを貼って、
ソファに寝転んでいる姿がなんとも愛らしい。
それは製作中、何度も頭に思い浮かべた、家族の日常の風景だった。
納品後、お客様から、息子さんが引出しを何度も開け閉めしては、
「おねえちゃん、上手。」(妻が1人で作ったと思っているらしい)
と、手を叩いている、との連絡をいただいた。
小さな子供にも、新しく「買ってきたもの」ではなく、
僕たち(妻?)が「作ったもの」だということがちゃんと
伝わっていてくれたことが、うれしかった。
作った家具が、日常の風景の中に溶け込んでいる姿を想うほど
幸せなことはない。
takashi

季節の移り変わり             

ガサガサ、ザザザザ、ガサ、ガサ

         
ここのところ、工房で仕事をしていると

向かいの竹やぶから、たびたび聞こえてくる妙な音。

動物でも来ているのだろうか。

そっと外をのぞいてみる。

 

なんだ。

隣の精密金属加工屋さんの小沢さんだった。

それにしても、棒を持ったおじさんが真面目な顔をして

薮の中を行ったり来たり、ガサガサ、ガサガサ。

妙な光景だ。

何してるんだろう。大切なものでも落としたのだろうか。

ああ、そうか。

 

「タケノコ、ですか?」

 

「うん、、、」

 

「どう?」

 

「ないね。。。」

 

それから毎日、この繰り返し。

間の抜けた挨拶みたいに。

 

10日もたったある日、大きなタケノコを三本も手にした、小沢さんを見つけた。
「とうとう、採れましたね。」

 

「いや。これじゃ大きくなり過ぎちゃってて、堅くて食べられんよ。。。」

 

「じゃあ、どうして抜いたの?」

 

「ん。」

 

そういえば、小沢さん、昨日は仕事が立て込んでいたらしく、

一日作業場にこもりっぱなしで、一度も外に出てこなかった。

毎日毎日、一日に二度も三度も、やぶの番人みたいに

目を光らせていた小沢さんが目を離したのは、たった一日だった。

 

その日を最後に、棒を持った小沢さんを竹やぶの中に

見ることはなくなった。

 

これから毎年、こんなところに季節の移り変わりを見るのかと思うと

うれしくなる。

 

タケノコに、ではない。

 

小沢さんに、だ。                  
takashi