矢口農園

 工房周辺の水田の田植えもすっかり終わり、若い稲の鮮やかな緑が日に日に密度を増している。

その新緑の広がりが、一斉に風に揺れる風景はなんとも涼やかで心地良い。
数週間前、二十歳過ぎぐらいの若者が田植えをしていたので眺めていると、軽トラックから
苗を降ろしていた親方が話しかけてきた。小柄だけどがっしりとした体つきの麦わら帽子姿の
矢口さん。真っ黒に日焼けした、人懐っこい笑顔が印象的だった。
60代の矢口さんは、日本の農業の将来を考え、会社組織を作って、若い農家を育てているという。
30代の若者を社長として起用し、経営を任せ、矢口さん自身は常に20代の若者たちと一緒に
田んぼや畑に出て、直接指導している。
主に不耕作農地を使って生産される作物は、「矢口農園」の名で、青山ファーマーズマーケット
にも出品している。
ご自身も若い頃仕事で、アメリカ各地やカナダ、ドイツ、スイスなど世界各国に何度も足を
運んでいたそうで、僕のフィジーでの生活の経験にも興味を持ってくれ、暫く立ち話をしていた。
矢口さんは、これからは日本の農家ももっと世界を知り、幅広い知識や経験、人間性を持つ
必要があると考えているようで、近い将来、若い社員たちを海外につれて行く計画もあるという。
日本の農村もヨーロッパのそれのように、明るく、「豊かな」日常のある、文化レベルの高い場所に
なってくれるといいと思う。
それ以来、矢口さんは時折、僕の工房に顔を出してくれるようになった。いつも突然、
ひょっこりと。一人だったり、若い社員を連れて来たり。
それにしても、矢口さんはいつもとてもいい顔をしている。こんなにいい顔をした大人と
一緒に仕事をしている若い社員たちは本当に幸せだと思う。
僕にとってもそうだ。こういう大人が近くにいると思うだけでなんだかうれしい気持ちになる。
今日も突然、ひょっこりと工房に現れて、タマネギをどっさり置いていってくれた。
takashi