自宅の改修と家具ーその3

今から4年程前に古屋を購入し、内部を改修した。

自宅の改修の内容としては、

①既存和室 →  キッチン/ ダイニングへ
②既存キッチン・リビング →  一室としリビングへ

既存の和室は8畳に一間の押入がある部屋。そこに出窓と掃き出しの窓がある。

前回のブログにも記載したけれど、キッチンに立ったときや座ったときに窓の向こうに空が見えたり視線が抜けることが、”心地よさ”を感じる大切な要素だと思っている。今回のキッチンの配置は機能を満たしつつ”窓との関係”を考えながらプランをしていった。出窓を利用してキッチンとし、空間の真ん中に箱を作り、そこにシンクと2人が座れる大きめのカウンターテーブルを配置、くるくる回れるようなプランとした。

40年前の新築のときの写真を見ると、和室の天井は2階の床根太が綺麗なピッチで入っていたので天井は木を生かし、壁は断熱材を入れプラスターボードで覆ってもらった。

↑天井仕上げを撤去すると綺麗なピッチで2階根太が見えてくる。

↑和室出窓部分。既存の壁に断熱のためスタイロフォームを貼り詰めてもらう。

↑出窓部分。プラスターボードを貼り、床も下地合板を貼り終え、大工工事も終盤。

さて、仕上げはどうしようか。

床は古い家にも合いそうな質感がある黒色のレンガタイルを選んだ。タイルは冷たいし固いので住宅には向かないかもしれないけれど、キッチンは寛ぐというよりは活動的な場所なのでタイルでよいと判断し、カウンターテーブルの下にはウールのラグを敷くことにした。

そして自分たちで製作するキッチンの天板は木を使うことにした。キッチンの天板として木を使うことで、無垢材がどう変化していくのか、その使い心地を確認してみたいと以前から思っていた。樹種は油分が豊富で水に強いチーク材。シンクの立ち上がりは北海道のクルミ材をリブ状に並べている。キッチンは日々使っているけれど、チーク材の天板は全く問題なく、むしろよい味になっている。使い心地もよく、個人的にはとてもよいと思っている。

壁は木の自然の色味が引き立つようあえて”塗装の白”とした。ガス台の正面の壁はタイルを貼り、上から壁と同じ色の塗料(ベンジャミンムーア艶あり)を自分たちで塗った。ここもどうなるか心配だったけれど、汚れも拭けるし問題なく使えている。

↑カウンターダイニングテーブルのスペース。床は黒のレンガタイル貼り。(国代耐火)

↑出窓を利用しキッチンを配置。天板はチーク無垢材としている。引き出しを3杯設置。

平面プランや仕上げの材料、細かい収まりなど色々と悩みに悩んだが、職人さんたちのおかげもあり改修は順調に進んだ。元々の建物を生かした天井もよい雰囲気となり、古さと新しさが融合した空間が出来上がった。キッチンに立ったとき、椅子に座ったとき、2つの窓を通して外を眺めることができる。窓の向こうに植えた南天の木もだいぶ大きくなった。窓を通して感じる季節や風景は唯一無二だと思う。

↑ 完成したキッチンスペース。椅子はHALFMOO FURNITUREのオリジナルchairc01とchair02。

私たちは食器や調理器具を多くは持っていないので収納は少なめだけれど、今は工夫しながら使っている。足りなくなったら、どこかに棚を増やしてもよいかもしれない。生活の変化によって、色々と変えていくのも楽しいと思う。

今までシンクの中には使った食器が山積みになることがよくあったけれど、このキッチンになってから食器をすぐ洗い片付けるようになった。ダラシがない私がそうなるんなんて、自分でも驚いている。家具や空間のあり方によって、生活する人の行動が変わるということがあるんだなぁと実体験を持って感じている。

改修して数年経った今もキッチンスペースにいるのはとても気持ちがよいし、楽しい。

(その4 へと続く)

kumiko

自宅の改修と家具 ~ その2

2021年の春、築40年の古屋に住み始める。私たち夫婦2人と犬1匹の暮らしが始まった。

改修を始めるまでの1年間、間取りをどうするかの前に、木造の古い家をどこまで手入れする必要があるのかを暮らしながら確認していった。まず、前オーナーが残してくれたこの建物を建てているときの写真をじっくりと何度も見返した。お風呂は基礎を1m以上の高さで打っているようだから、すぐにやり直す必要はないと判断。写真から床下は捨てコンをしていること、実際に床が沈んでいる様子もないので大幅にやり直す必要もないと思った。ただ、素人の判断なので早い段階で、お世話になっている工務店の方に家に来てもらい実際に内部と外部を見てもらった。屋根裏も覗き、断熱材(当時はグラスウール)が落ちている様子もない。木造の古い家だと、実際にリフォームをし始めると見えない部分で老朽化があり、費用がかさむことがある。カビ臭かったり、床がフワフワしていたりすると注意が必要だ。建物はしっかりと作られメンテナンスもされていたので、大きな修繕は考えずに間取りの検討を始めていった。

家はL字型、1Fは和室とLDKの2部屋と洗面浴室の構成。今回は1階のみ改修することにした。

「よし、まずは壁を一部壊して階段がどうなっているか見てみよう。」

「和室の天井を外したら、梁がどうなっているかわかるかな。当時の写真から見ると綺麗なピッチで入ってそうだけど。」

「吹き抜けの壁の一部を開口にしたらどうかな。 のこぎりで開けてみよう。」

予想通り、階段のササラは綺麗なラワン柾目無垢材、和室の天井も覗いているみると梁も無垢材でよさそうだ。元々の建物が持っているポテンシャルを生かし、私たちが心地よく住むにはどうあるのがよいか。生活をしながらじっくりと考えていった。

心地さを感じる要素の一つに、外と繋がっている「窓」との関係が大切だと個人的には思っている。窓からは光が射し、視線も抜ける。キッチンに立ってるとき、リビングやダイニングで座っているとき、窓がどのような位置にあるとよいか。もちろん、生活動線だったり、他の事柄との関係性もあるのでそう単純ではないけれど。「窓」との関係を重視しつつ、プランを詰めていく。

和室をキッチン+ダイニングスペースへ改修、LDKはキッチンを撤去し一室にし、吹き抜け部分の壁を開口し2階とも繋がるようなプランとした。

仕上げもほぼ決めて、改修工事は職人さんもみんな知っている飯石建設にお願いすることにした。よく、「自分たちで改修工事もしたのですか。」と聞かれることがある。もちろん、やってやれないことはないけれど、その道でずっとやってきた職人さんたちにお願いしたほうが、綺麗だし早い。そして、何よりその仕事を見ることはとても興味深く、楽しい。私たちは家具のみ造ることに専念した。

担当してくれた大工さんはとても腕のよい”菊地さん”。日々、目の前で進んでいく菊地さんの仕事は、予想以上に素晴らしかった。毎朝工房に出かける前に、チラッと菊地さんの仕事を見ていつも思っていた。

「魔法使いのようだな。」

数年経った今でも、その姿を思い出すとワクワクした気持ちになる。

その3 へ続く

kumiko

高知へ -その2(木の子編)

2頭の犬(Rとマイカ)と暮らす大塚友野さんのところは僕たちの犬の「木の子」の実家でもある。

6年前の冬の終わり、友野さんが一緒に暮らす犬の「R」と隣家の雌犬「L」の間に5頭の子犬が生まれ、貰い手を探しているという話を友人づてに聞き(というか、その時その友人はちょうどいいのがいると、すでに僕たちのことを紹介していたらしいけれど)、その中の1頭を引き取ることにした。それが木の子であり、友野さんのもとに残すことにした1頭がマイカだ。

以来、東京で友野さんの個展があるときには遊びに行ったり、時々犬の情報交換をする関係になった。

そんな縁で今回友野さんに作品制作を依頼するにあたり、一度高知に伺おうということになり、せっかくの機会だから木の子も一緒に連れて行くことにした。そもそも日頃からどこに行くにも連れて歩いているので、そうでなくても一緒に行くことになっていたのだろうけど。

僕たちにとってもRとマイカに会うのは木の子がうちに来た日依頼。当時Rは1歳、マイカは3ヶ月の子犬だった。その後SNSで見ていたし、話としては聞き知っていたけれど、実際に会った瞬間、その大きさの違いに驚いた。

木の子21kg、Rとマイカは10kg程度。実際の見た目のボリュームも本当に半分だ。顔や表情、仕草はとてもよく似ている。でも存在感が全然違う。。確かに子犬の頃から他の兄弟たちと比べて木の子は明らかに一人大きかった。手足の太さも全然違った。それにしても姉妹でこんなにも違うものか。さすが雑種。

生後3ヶ月で別れた父、姉妹との対面、しかも彼らのテリトリーで。警戒心の強いこの子たちの気質を考えると難しいだろうとは思っていたけれど、予想通りみんな警戒モード。SNSでよく見る陽気な犬たちの平和な里帰りとはいかない。みんな揃って穏やかに集合写真なんて全然無理だった。唯一撮れていたスリーショットは友野さんが撮っていた一枚。木の子の背後で、家の中から警戒するRとマイカ。

子犬の頃によく甘えていた母親なら覚えているかなと思っていたけれど、残念なことに2ヶ月ほど前に亡くなってしまったとの連絡をもらっていた。

まだ残されたままの、木の子たちが生まれた母犬の小屋。

Rとマイカのことは覚えてはいなかったみたいだけど、この場所はなんとなく覚えているのか、それとも単純に野山が大好きだからなのか、木の子は終始ニコニコして高知の山を楽しんでいた。

takashi

高知へ

製作のご依頼ををいただいている教会の洗礼盤のボウル部分の打ち合わせのため、漆作家の大塚友野さんに会いに高知県に行ってきた。

最初に洗礼盤製作のご相談をいただいた時、お客様は台座は木製、聖水を入れるボウル部分は金属製というイメージをお持ちだった。でもお話しを進める中で、工業的なものよりも工芸的なものを希望されていること、今回のご依頼に至った想い、そのプロセスも含めた物語性を大切にしたいということを伺い、ふと思いついて工房に飾っていた大塚友野さんの漆のボウルをご覧いただいたところ、その質感、漆工という日本の伝統的な技法であることに強く興味を持っていただき、この方向で進めていくことになった。

その後お客様と何度か打ち合わせをする中で友野さんの作品の写真をご覧いただき、仕上がりのイメージが固まってきた。友野さんとはオンラインの打ち合わせで進めることもできるけれど、最初のイメージをできるだけ正確に共有してスタートしたかったのと、僕たちも製作を進める上で友野さんの制作風景を想像しながら進めたかったので、直接会いに行くことに決めた。

高知市内からはだいぶ離れた吉野川沿いの国道から分かれた北側の山の斜面の細い坂道をどんどん登る。こんな山の斜面に集落があることがとても不思議に思えた。国道から離れ20分近く登ると尾根近くの小さな集落に着いた。ここまで登ってくると山村なのにとても明るい。南側は吉野川が流れる大きな谷で、向かいにはここと同じぐらいの高さの山々が連なっている。その谷いっぱいに太陽の光をたっぷりと含んだ空気がふわっと溜まっているような不思議な風景だった。そんな場所の古い平屋で友野さんは2頭の犬と一緒に暮らしている。

都会で生まれ育った彼女がここに来てもう7年。ここでの暮らしは心地良く、体の調子もとても良いのだと言う。この土地の風景も時間も暮らしている人たちの感覚も、全てが友野さんの価値観にしっくりくるのだと思う。

お風呂もトイレも家の外だし、やっぱり冬は寒いし、見方によってはとても不便な暮らしとも言えるけれど、ここでそんなことを話題にすること自体ナンセンスだと思えるぐらい彼女にとってそれらは普通のこととして、この土地に根ざして暮らしているように見えた。自分の価値観と真摯に向き合いながら生きている姿はとても魅力的で羨ましくもあった。

南側の山々を窓越しに眺めながら、尽きない話を一度中断して、洗礼盤の打ち合わせ。

お客様の想いを伝えるとしっかりと受け止めて咀嚼してくれている様子がとても印象的だった。

漆のボウルは、最初に型を作ってそこに麻布を沿わせ漆で固めながら形を作っていく。乾かしてまた麻布を敷いて漆で固めて、必要な厚みまで繰り返す。とても手間と時間のかかる作業だ。外側の最後の仕上げは黒に近いグレー。内側はグレイッシュなベースに錫を撒いた仕上げにする。これから数ヶ月かけて制作を進めてもらう。

実際にこの場所に来て、ここの空気を感じることで、礼拝堂から僕たちの工房を通ってこの場所までの風景が繋がったものに感じられた。

takashi

自宅の改修と家具 ~ その1

3年半ほど前に築35年の古屋を購入した。

それまでは、賃貸の小さな平屋に住んでいた。普段帰ってくるのは夜だし、休みもほとんどなかったから家にいることもなく、引っ越した段ボールもそのままの状態で、倉庫に住んでいるような生活をしていた。

たまにお客様に「ご自宅も素敵なんでしょうね」なんて言われることもあったけれど真逆な暮らしをしていた。家具を作ることに精一杯で自分たちの生活を顧みる余裕なんて、最初の10年は全くなかった。

ただ、少しずつ無垢の家具の心地よさや楽しさを自分たちが実際に使い、確信をもってお客様にご提案したい。家具の機能やデザインが、私たちの生活から生まれるものでありたいという思いが出てきた。自分たちの作った空間や家具がある家を持ってみたいという好奇心が生まれた。

家具を製作する仕事は、地方(関東圏以外)でも成立する仕事だから今の場所にこだわる必要もない。だけど、私たちの家具作りは「お客様との対話」をとても大切にしている。直接お会いしたりご自宅へお邪魔し、価値観を共有することが家具を製作する上で必要なことだと思っている。そういう点では今の場所を離れる理由もない。

今の工房から車で行き来できる場所を探した。

建築基準法が改正された後、1975年以降に建てられて、できるだけ古く安価な物件を探した。ただ、安いというのはあたりまえだけど、安い理由がある。場所や日照条件、土地や建物の広さなど。

何を優先するか。まず、場所の雰囲気が自分たちに合うかどうかを重視した。次は敷地との関係を考慮した家であること。考えて作られたものにはどんなものでも魅力がある。家具はもちろん、家も同じことがいえると思っている。

具体的に探し始め、4,5件ほど見てもしっくりくる家はなかった。

そもそもわたしたちの希望に合う家なんてあるのか。戸建にこだわらず、集合住宅にして家具を充実させた空間でもよいのではないか。

楽しく暮らせる方法をあれこれ考えているとき、工房から車で15分ほどの場所に条件がちょうどよさそうな家をnetで見つけた。翌日に内覧。その場で買うことを決めた。

そのとき既に築35年、土地は玉石擁壁があり新築するには不利な条件だが、改修して住むことを考えていたわたしたちにとっては、特に大きな問題はではなかった。何より、ここ以外に自分たちに合った条件の家と出会えるとも思えなかった。

契約が進んだころ、不動産の方が「こんな資料があるのですが、要りますか?不要であればこちらで処分します」と数冊のファイルを渡してくれた。確認申請時の青焼きの図面一式と検査済書、そして新築時に施工会社とどんなやりとりがあったかの議事録、家が建つ前から工事中、完成までの写真一式。とても丁寧にまとめられた資料だった。

「もちろん、受け取ります。」

わたしたちにとってはその全ての記録が宝物のようだった。

何回も何回もワクワクしながら写真を見た。

実際に住み始めてみると、ここに住んでいた方がとても丁寧に暮らしていたことが伝わってきた。

そして、1年後改修へと進んでいく。

kumiko

仕上げについて

比較的真面目に家具作りをしているつもりでいる。基本的には古くから受け継がれてきた正統的な技法を使って作り、仕上げている。無垢の木をカンナで削った木肌に現れる複雑な色味や深い艶は見飽きることがない。

一方でそうやって作った家具は堅い印象にもなりやすい。もう少し自由な雰囲気が出せないものかと思うことがよくある。

以前、ショールームの床材を自作した時、バンドソーで製材した際に付いた鋸刃の跡を削り落とさずにそのまま残して仕上げてみることにした。当初は木目と直行して無数に走る鋸刃の跡のテクスチャーがおもしろいのではという狙いだったけれど、実際に床に敷き詰めてみるとそれよりもその凹凸による光の反射にとてもおもしろい効果があった。正確には反射というより吸収。柔らかく光を含んで、ふわっとした質感に感じられた。

これを応用して家具の仕上げにも使えないものかと模索している。カンナで平滑に削った艶やかな仕上げとは全然違う無垢の奥行きが生まれるのではないかと思っている。

studio gdのデザインで現在進行中の三軒茶屋OBSCURA COFFEEの新店舗。今回その家具を担当させていただいている。

計画段階から全体の雰囲気のイメージとして「土っぽい素材感」というキーワードが上がっていた。それならここのところ模索している無垢の荒さを残した仕上げ方が合うのではないかと考え、実際の材料でサンプルを作って提案したところ、とても気に入っていただいてこの方向で進めることになった。

同じ豆でも精製方法や焼き方で全く別の魅力を引き出すコーヒーの世界。アイデア次第で木もそれに近い活かし方ができるのかもしれない。

ナラ無垢材 ラワン無垢材 ラワン無垢材

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 ホタル 寺家ふるさと村

少し前のこと、

雨が上がるのを待ちながら切りの良いところまでと思って作業をしていたら、いつの間にかすっかり日が暮れていた。

めずらしく妻と一緒に木の子の散歩に出かけることにした。

寺家スタジオの方から川沿いの道に降りてゆく。川に沿って雨上がりのひんやりと湿った風が流れていた。時折木の子は立ち止まって、少し背伸びするように空中に鼻を持ち上げ、風に乗ってくる匂いに意識を向けている。しばらく川沿いを歩いて、用水路に沿って田んぼの方に向かった。

ふと水路脇の茂みに目を向けると1匹の蛍が涼しげな光を灯しながらゆらゆらと舞っていた。もうそんな季節か。僕たちはもう少し奥のふるさと村の田んぼの方まで行ってみることにした。思った通り、真っ暗な森に蛍の強い光が舞っていた。僕たちが夢中になっていると、木の子はつまらなくなったのか、自分でハーネスを抜いて田んぼの方に走って行ってしまった。真っ暗でよく見えないけれど、「ちゃぽん」と、水に入る音が聞こえた。あああ、水路に入って遊んでいるらしい。しばらくすると僕たちの前を勢いよく横切る影。そのまま今度は森に入って行った。自由人。

先日、open日に工房に来てくださった方が、こんな環境で日々家具作りをしている僕たちを見て「幸せを手に入れましたね!」なんて言っていた。その時はずいぶん大袈裟なことを言う人だななんて思っていたけど、確かにそうかもしれないとも思えてくる。当たり前のこととして日々季節が移ろい、それを日常の中でほんの身近に感じられる。それはとても幸福なことなのかもしれない。

takashi

イエティ

イエティ

あの人に会わなければ僕はたぶん一生イエティの存在には気が付かなかったと思う。

あの人にとっては、何年か前に偶然入ったネパールのカフェで働いているイエティに会ったのが最初らしい。その時は、あまりの嬉しさにイエティが着ていたカフェのスタッフTシャツを買って、イエティと一緒に記念写真を撮ったのだそうだ。

僕は今までどこかのお店のスタッフTシャツを買ったことは一度もないし、買いたいと思ったこともない。普段誰かと記念写真を撮ることもまずない。

でも、外国でふらっと入ったカフェでイエティが働いていたら、やっぱり僕も同じことをするような気がする。

この前、あの人がイエティを作ってくれた。それを見ていてはっとした。何もネパールのカフェまで行かなくても、実はイエティはいつもすぐ近くにいるのかもしれない。そういえば時々腰のあたりに大きな手の温かい感触を感じることがある。近すぎて今まで気が付かなかったけれど、本当に大切なものはすぐ隣にあるのかもしれない。たぶんあの人にはそれがはっきりと見えるているんだと思う。

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小さな友達

うちに木の子(犬)が来た頃だから、もう4年半前ぐらいになる。

打ち合わせから帰って来たら、工房の近くに住んでいる女の子が入り口に展示してある1人掛けソファにぽつんと座っていた。近所で何度も見かけてはいたけれど、お話しをしたり工房に来たのは初めてだった。

「ここにはもう一人いるよね。おんなのひとが。」

木の子を可愛がりながら、ぽつりぽつりと会話をしつつ私の帰りを待っていたらしい。

それから、その女の子はよく工房に顔を出すようになった。木の子とも仲良くなり、木の子と2人で探偵ゴッコをしていたり、みんなで散歩に行ったり。驚くほど手先が器用で、工房に来ては木の端材で色々なものを作っていた。サイコロのような形をした"さっぽろくん"の船や飛行機本当にたくさんのものを自由な発想で作っていた。 

仕事に追われる日々の中、私にとって彼女との時間は楽しみにもなっていた。

そんなあるとき、「椅子を作ってみよう」という話になった。どうしてそうなったのか忘れたけれど、彼女の器用さなら作れるのではないかと思ったのは覚えている。まず、どんな椅子がいいか絵を描いてもらった。それを元に、大きさを決めて図面を描いた。私が描いたものを説明し、本人に一から描いてもらう。そして、使う樹種を選び、部材の寸法出しも一緒にした。

木造り(材料を必要な寸法に加工すること)はこちらで行い、ホゾの加工はノコギリと鑿を使って本人にやってもらう。椅子はだんだんと形になっていった。チェリー材でつくり、背中が当たる板はメープル材。背をつける位置も女の子に聞いて、彼女の持っている"いい"と思う感覚をできるだけ大切にした。座面貼り、仕上げ、塗装までやり遂げ椅子は完成した。

今、その椅子は遠く離れた大好きなおばあちゃんの家にあるという。

そんな日々の中、女の子のお母さんがあるとき工房に来た。

キッチンスツール 2脚お願いしたいと。

「家にいつも"たかちゃん""くみちゃん"がいるみたいだから」

女の子が笑顔で言ってくれた。

あれから2年以上。

小さな女の子と会うことも見かけることもほとんどなくなった…

でも彼女はわたしにとって大切なことを思い出させてくる、今でもかけがえのない友達だ。

          

    ひこうきに乗った 「さっぽろくん」

kumiko

先日、1111日。

女の子のお母さんがエッセイを出版した。毎日のように工房に来てくれていた女の子とその弟と妹、3人が不登校になり、そんな子供たちとの日々を綴ったエッセイ。

「ママの背中は竜巻だ!!」あらい さゆり

物語のような、この辺りの風景も想像できる温かい内容です。わたしたちのお気に入りの本が一冊増えました。

頼りない天使

犬と一緒に暮らすようになってからもうすぐ4年になる。思い返せばその間、ほとんどの時間を一緒に過ごしてきた。あっという間だったなと思う反面、もっともっとずっと前から一緒にいたような気にもなる。

僕は子供の頃から家には犬や猫のいる環境で育ったので、犬と一緒に暮らすということがどんなものか、ある程度わかっていると思っていた。でも、実際に自分で犬を迎えてみると全く違っていた。それは僕が知っていたものよりもずっと楽しいことだった。犬は「天使」のようだと思う。とは言っても僕は天使のことをよく知らないので、ただのイメージだけれど。たぶん、どんな犬も飼い主にとって「天使」のようなのだろうと想像する。とにかくその純粋さにいつもハッとさせられる。常に真っ直ぐに、怒って、笑って、怯えて。全力で走って、食べて、うんちして、眠る。

うちの犬は結構野性味を残したそこそこ大きな雑種で、獣を見れば本気で追いかける。工房の前でハクビシンを捕らえたこともある。山の中を散歩すれば、茂みの中の生き物の気配に夢中になって突進してゆく。この頃は、僕たちには全く感じられないけれど、土の中ではもう春の動きがあるのか、土を掘ったり、茂みに入ったり、興奮気味だ。

そんな野生の感度を持った犬が夜になれば、僕たちの布団の中に入ってきて、全ての警戒心を解いて無防備に眠る姿は、まるで子犬のようだ。というよりむしろ熊のぬいぐるみのようだ。朝は僕たちが起きた後も一人で布団を被ってぬくぬくと眠っている。犬は早起きなものだと思っていたけれど、必ずしもそうでもないらしい。

強さと弱さと、成熟さと未熟さとを併せ持っていて、儚くも透き通った「頼りない天使」というイメージがぴったりくる。

FISHMANSを聴きながらそう思う。

takashi

大切なもの

ほんの小さな修理の仕事だった。

だからといってお客様の想いが小さいということでは全く無いのだと改めて感じられるとても印象深い経験だった。

修理のご相談をいただいたとき、製作が混んでいたため実際に手をつけられるのは数ヶ月先という状況だった。それでも思い入れのあるものだからできれば直して使いたい、とお持ちいただいたのは座面の籐が破れてしまった2脚の古いスツールだった。

どんな想いが詰まっているのだろうか。長年に亘って暮らしの中にいつもあって、色々な記憶を含みながら宝物になっていったのだろうと思う。

「歳が歳だから怖くて外にも出られないの。」とても不安げなご様子だった。

庭先でお渡しした2脚のスツールを濡れ縁に並べ、慈しむようにしばらく眺めて

「こんなにきれいになって。 見違えるようだわ。 しばらくは使わないで眺めていようかしら。 今日はうれしくて眠れないかもしれない。」

とても静かに、ゆっくりとした口調で独り言のようにそう言った。

うれしかった。自分の仕事に満足していただいたことにではなく、その価値観がとてもうれしかった。そういう方に出会うと、ものを作る人間として安心する。ものの価値ってそういうものだと強く思う。

takashi  

レケティからの電話

メッセンジャーでビデオ通話の着信があった。レケティのナイオからだった。そういえば今日はラグビーフィジー代表が日本で試合をしている日だったか。

メッセンジャーにこんなこんな機能があったことをはじめて知った。ずいぶん世界が近くなったものだ。僕が住んでいた頃、レケティには電気が通っていなかった。発展途上国のそんな地域でもvodafoneがジャングルの中にアンテナをたくさん立てて、島中のほとんどの場所で携帯電話は使えるようになっていた。電気がないから充電の問題はあったけれど、通話機能しかなくあまりバッテリーを消耗しない小型のnokiaを使っていたので、発電機かソーラーでときどき充電してさえいればそれで充分だった。あれから8年、今ではレケティにも電気が通ったと聞いている。スマートフォンも急速に普及しているようで、インスタグラムやフェイスブックで多くの友人たちの現況をリアルタイムで知ることができるようになった。

予想通りナイオたちは、ラジオでラグビーの中継を聞きながらカバを飲んでいた。真っ暗なポーチで、ランタンの灯りひとつで地べたに座ってカバのボールを囲む光景があの頃と何一つ変わっていなかった。今はレケティにも電気が通っているはずなのに。

カバに酔うと光がとても鬱陶しくなる。心も体もどろんと地面に吸い込まれるような感覚で、話すのも面倒になる。酔いが回るにつれてランタンの光さえまぶしくなってどんどん火を小さくしてゆく。最後には蝋燭の火よりも小さく絞ったかすかな火を囲んで目を閉じてただ座っている。時折誰からともなくかかる「タロ」という低い掛け声を合図にカバを混ぜる水の音が響き、順番に回ってくるボールを飲み干してまた目を閉じる。何人もの大男たちが真っ暗闇で何時間もただ黙って目を閉じている。そんなことが毎晩、僕の家で夜中まで続いていた。それがレケティの日常だった。僕はそんな時間を結構気に入っていた。

あれは何時だったのだろうか。真夜中だったのか、朝方だったのか。一番最後に帰って行ったのがフランクとナイオだったことは覚えているけれど、そのあとどうやってベッドに入ったのかも覚えていない。開けっ放しの窓から差す朝の光で目が覚めたとき、まだ体にはカバが残っていてずっしりと重たかった。僕の家の裏のパパイヤの実がちょうど熟していたのを思い出して朝ごはんにちょうど良いと思って裏口を開ける。昨日まで間違いなくついていた4つの果実のうちオレンジ色に熟しているものだけが無くなっていた。また取られた。僕のパパイヤをいつも狙っているのは裏隣の家に住んでいるナイオだった。昨日の夜、帰りに採っていったに違いない。ここでは勝手に生えてきた植物でも、それは一番近くの家の住人に属すと考えられ、断りなしに取っていくことはタブーとされていた。だからそのパパイヤは明らかに僕のだし、裏口付近の地面に生えていたパクチーや唐辛子、表の椰子の木とナスも僕のということになっていた。それなのにナイオは僕のパパイヤを「俺たちのパパイヤ」と呼んで、いつも僕が採ろうと思っている直前(熟してから僕が採るまでの間)に勝手に採っていった。

その日はどうしても食べたかったので、ナイオの家に取り返しに行くことにした。どうせまだ寝ているだろうから起こしてやろうと。予想に反してナイオはもう起きて朝ごはんのロティを焼いていた。

「おはよう。中に入って朝ごはんを食べていけよ。」

あたたかい紅茶を淹れてくれて、焼きたてのロティと熟したパパイヤを半分。

そうそう、これ。でも、と思う。

ナイオには奥さんと子供が4人いる。僕がパパイヤを半分食べれば残りの半分を6人で分けることになる。まあ、そもそも僕のパパイヤなんだから別に良いはずなんだけど、、

「これは子供たちにあげてよ。」

いざとなると遠慮する僕に

「そんなこと気にするな。食べろ食べろ。」

と聞かない。

しばらくナイオと昨夜のカバの話をして過ごす。あれはムンドゥの畑で採れたカバで、レケティ産のカバの中でも特に強いものだとか、隣村からやってきた長身のパトゥが一番最初に潰れて逃げ帰ったこととか、フランクは相変わらず強かったとか(ここではカバに強いほど尊敬された)、いつもと何一つ変わらないどうでもいいような話題で2人で大笑いしていた。冷静に考えれば何にもおもしろいことなんてないのに、不思議ととても幸福な朝の時間だった。

取られたパパイヤを取り返しに来たことも忘れ、気がつけばそれ以上にご馳走になって、すっかりくつろいでいた。

電話越しのナイオのなつかしい声に思い出されるのは、特別なことは何も起こらない、日々繰り返されるなんでもない日常の風景だった。そして、そんな日々がこの8年間変わらずに繰り返されてきて、これからもきっとそうだろうことに安心する。

takashi