「紫」 染色史家 吉岡 幸雄

 
植物だけの色。
途絶えかけた日本の心。

「紫」

日本古来の染色染料にこだわり、育て、染める吉岡幸雄。
この映画は美にとりつかれた男の記憶である。

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染や織、日本の伝統に詳しい方なら知っているであろう「吉岡幸雄」さんの
ドキュメンタリー映画が、ここ寺家にあるjike studio にて上映されます。

わたし自身、日本古来のもの「土」や「和紙」に興味があり、
その本来のもつ美しさにいまでも魅了されている一人です。
(以前ブログにも土については書いたことがありますが。。。)
わたしの師である田村氏も土で布を染める「埴染め」をしていますが、
草木染、埴染め、本当に自然の色は美しいものです。

ご興味のある方は是非、jike studio へ足を運んでみてください。
11月1日は吉岡幸雄さんも来られます。

内容についてはこちらをご覧ください。
http://www.sachio-yoshioka.com/2011/0901.html

jike studio
http://tsuki-zo.jp/jike-studio/

寺家回廊終了いたしました

展示期間中、たくさんのお客様にお越しいただいき、ありがとうございました。

Half Moon Furniture Workshopは初参加にもかかわらず、
多くの方々に工房に足を運んでいただき、直接お話しできたこと、
私たちにとってとても有意義な、いい時間となりました。
私たちは日々、寺家の自然に囲まれたこの工房で製作をしています。
お近くにお越しの際は是非、お気軽にお立ち寄りください。
また、家具の製作、修理等に関するお問い合わせはメール、
電話でも承っております。お気軽にお問い合わせください。
今後ともよろしくお願い致します。
小栗 崇
小栗 久美子

寺家回廊2013

10/12(土),13(日),14(月)の三日間、

工房にてHalf Moonオリジナル家具、小物の展示会を行います。
多くの方々のご来場を心よりお待ちしています。

小さな青い花

 

朝、いつものように工房の植物たちに水をあげていたとき、ユーカリの鉢の陰の雑草の中、
葉の間に隠れるように咲く一輪の小さな青い花を見つけた。
控えめに、でも確かな生命力を持って咲く姿がなんとも可愛らしく、しばらく眺めていた。
「あれ?」と思う。花の部分だけ葉の形が違う。
その葉だけが真ん中から折れて閉じているのに対し、その他は全て太陽に向かって開いている。
茎づたいに茂みの中を探ってみると、もう一枚、しっかりと閉じている葉を見つけた。
そうか、と思い、指でそっと開いてみる。
見落としてしまいそうなほど小さな自然の営み。なんと神秘的なのだろう。
しっかりと葉に守られたこの小さなつぼみは無事咲くことができるだろうか。
takashi

いつの間にか。

しばらく忙しくしていたせいか、あまりに見慣れた風景になってしまったせいか、

ほとんど気に留めなくなってしまっていた工房周辺の田んぼ。
いつの間にか稲はすっかり熟し、稲刈りの季節になっていた。
7月のはじめ、一番最後に田植えをしていた矢口さんの田んぼでも、刈り取られた全ての稲が
束ねて干され、秋の風景が広がっている。
「いつの間にか」と思うのは少し寂しい。日々、身近な自然に目を向ける心の余裕を
持っていなくては、と思う。
takashi

ふと思うこと

 ここ寺家町に工房をもってから5ヶ月が過ぎようとしています。

半年も経っていないのに、数年経ったような、そのぐらい色々な経験をさせてもらった気がします。
日々のものづくりを通し、いろいろな世界に触れることができます。
作り手とのやりとりを大切にしながら、家具をお願いしてくれるひとたち。
長く使っている家具を修理し、生活を楽しんでいるひとたち。
自分のお店を素敵にするために、オリジナルの家具を頼んでくれるひとたち。
量産され便利で安価なものが沢山ある中で、ときどき自分たちも
この社会の渦の中にいつの間にかのまれていることがあります。
憧れのお店「grass B」の店主のブログにこんな一文をみつけました。
「便利で簡単、効率的なものはゆったりとした時間がかすめとられてゆくみたいで
心地よくない。
 普段感じることは自分の理想と多くの人に支持されるものとは別だということ。
『隙間』で苦しいときは適度な余白を作って流れを起こそう。」
完全に渦の中に入ると、抜け出せなくなってしまうかもしれません。
まだスタートしたばかりですが、ときどき余白を作って
別な流れを作りながら、自分たちが思う心地よいものを表現していきたいと思います。
夏の晴れた日に、干した洗濯物が風で揺れるのをみながら、ふとそんなことを思いました。
kumiko

フィジーからの声

 電話が鳴ったのは、作業台の上に散乱したかんな屑を片付けているときだった。

「もしもし」
「Hello, Bula, Bula re」
「え?? あれ? ハロー」
「Bula,Takshi !」
僕が2012年3月まで2年間住んだフィジーの友人、テキニからだった。
受話器の向こうから聞こえる懐かしい声。その声から彼の人懐っこい笑顔をはっきりと
思い浮かべることができた。

話しながら僕は、帰国前日、首都のマーケットで突然後ろから名前を呼ばれ、振り返ると
笑顔のテキニが駆け寄ってきて僕に抱きついてきたときのことを思い出していた。
2年間僕が暮らしたバヌアレブ島の片田舎の村、レケティから遠く離れた本島の首都で、

しかも帰国前日に、よく知った友人とばったり出会った驚きとうれしさを今でも
はっきりと覚えている。その後僕らは、マーケットの裏の路地に並んだ小さな安食堂で
最後の昼食を一緒に食べて、別れた。

電話の向こうのテキニは、最近のレケティの様子を話してくれた。
近い将来、レケティにも電気が通るらしいこと(僕がいた頃はレケティには電気が
通っていなかった)。毎晩のようにカバ(植物から抽出するフィジーの伝統的な飲み物。
アルコールではない)を飲んで、一緒にどろんと酔っ払っていた副校長のマスタービリが
別の高校に異動して校長になったこと。テキニの姪っ子で、僕の隣人だった若い教師、
アギーが結婚したこと。
次から次へと出てくるなつかしい名前。立場や環境が少しぐらい変わったところで
彼らの生活は何も変わらないだろう事が想像できる。暑いときには大きなマンゴーの木の下に
座って涼み、のどが渇けば生徒を使って椰子の実を採らせて、ココナッツジュースを飲んで、
夜になれば仲間と何時間もカバを囲んで酔っ払う。
そんな世界から帰国してもうすぐ一年半が経つ。
僕も、去年結婚したこと。三月から自分の工房を持って家具を作っていること等々、近況を話した。

電話を切った後もしばらく、僕の頭の中ではさまざまなフィジーの音が鳴っていた。
友人たちの話し声、馬の嘶き、鳥の声、遠くでまわり始める発電機のエンジン音、
それが止まるときの静けさ、そして木工科のワークショップで生徒たちが作業をしている音、
誰からともなく始まる彼らの歌、笑い声。
それは僕にとって、時々思い起こすことができる「もう一つの世界」になっていた。

takashi

夏野菜

畑仕事を終え、ふらっと工房に現れた矢口さんが分けてくれた夏野菜。
「これから孫と約束してるんだ。」と、うれしそうに帰ってゆく矢口さんを見送りに表に出ると、
深い青の夕暮れの森は、ヒグラシの声で充たされていた。
幸せだな、と思う。
takashi

 僕の工房にはよく蜂が来る。

よくというのは毎日、しかも何度も何度も。来るというより、いつもいると
言えるかもしれない。
とはいっても、お互いそれぞれのことに忙しく、特に干渉し合うこともない。
一度、長い材料を振り回しながら木取りをしているときに、天井近くにいた蜂に気付かず、
材料を当ててしまいそうになり、怒らせたことがある。突然僕の近くまで降りてきて、
ぶんぶん、ぶんぶん。
「ちょっと待ってくれよ。そんなつもりじゃなかったんだから。」
言ってみてもわかってもらえず、落ち着くまでしばらく作業を中断して待つよりほかなかった。
時にはそんなこともあるけれど、基本的にはまあ、お互いうまくやっている。
先日、隣の小沢さんが蜂の巣をくれた。小沢さんの作業場の入り口に作られていたものらしい。
なんてきれいに作るんだろう。しばらく2人で見とれていた。
それにしても不思議だ。みんながそれぞれ何をどう作るのかわかっているのだろうか。
それとも監督みたいな蜂がいて、指揮しているのだろうか。
日本中、世界中どこに行っても、いつの時代にも同じ構造、同じ形のものを作っているなんて
とても神秘的なことに思える。
その巣は工房の窓際の棚の上に置いておくことにした。
takashi

泥だんごワークショップ

 「光る泥だんご」

かつて、日本の住宅では土壁を見ることができましたが、現在はクロスが主流となり
土壁を見ることが少なくなりました。
樹脂を混ぜ、いかに早く簡単に施工できるか、様々なメーカーが便利なものを
作り出し、昔の職人さんの知恵と技術を知る機会もなかなかありません。
私にとっての土の師匠である「田村 和也」さんにお会いしたのはもう10年以上も
前のことです。田村さんからは左官の技術を教わったり、泥だんごのワークショップの
お手伝いをしたり、色々なことを土を通して教わっています。
全国の日本の土の色(写真:田村和也氏提供)
その経験を生かし、今日茅ヶ崎の海に近い小学校で泥だんごつくりをしてきました。
真剣に教えていたら、すっかり泥だんご製作風景の写真を撮るのを忘れてしまいました。
終わった後の教室の風景です。。。
ぴっかぴかの泥だんごをみんなとっても嬉しそうに、大切にお家に持って帰りました。
今は少なくなった土壁ですが、その原点である泥だんごがこれからもずっと、残ってくと
いいなと思います。
kumiko
泥だんごの芯:このジャガイモのような芯を丸く真球にし色を付け、ぴかぴかにします
ぴかぴかに光った泥だんご

矢口農園

 工房周辺の水田の田植えもすっかり終わり、若い稲の鮮やかな緑が日に日に密度を増している。

その新緑の広がりが、一斉に風に揺れる風景はなんとも涼やかで心地良い。
数週間前、二十歳過ぎぐらいの若者が田植えをしていたので眺めていると、軽トラックから
苗を降ろしていた親方が話しかけてきた。小柄だけどがっしりとした体つきの麦わら帽子姿の
矢口さん。真っ黒に日焼けした、人懐っこい笑顔が印象的だった。
60代の矢口さんは、日本の農業の将来を考え、会社組織を作って、若い農家を育てているという。
30代の若者を社長として起用し、経営を任せ、矢口さん自身は常に20代の若者たちと一緒に
田んぼや畑に出て、直接指導している。
主に不耕作農地を使って生産される作物は、「矢口農園」の名で、青山ファーマーズマーケット
にも出品している。
ご自身も若い頃仕事で、アメリカ各地やカナダ、ドイツ、スイスなど世界各国に何度も足を
運んでいたそうで、僕のフィジーでの生活の経験にも興味を持ってくれ、暫く立ち話をしていた。
矢口さんは、これからは日本の農家ももっと世界を知り、幅広い知識や経験、人間性を持つ
必要があると考えているようで、近い将来、若い社員たちを海外につれて行く計画もあるという。
日本の農村もヨーロッパのそれのように、明るく、「豊かな」日常のある、文化レベルの高い場所に
なってくれるといいと思う。
それ以来、矢口さんは時折、僕の工房に顔を出してくれるようになった。いつも突然、
ひょっこりと。一人だったり、若い社員を連れて来たり。
それにしても、矢口さんはいつもとてもいい顔をしている。こんなにいい顔をした大人と
一緒に仕事をしている若い社員たちは本当に幸せだと思う。
僕にとってもそうだ。こういう大人が近くにいると思うだけでなんだかうれしい気持ちになる。
今日も突然、ひょっこりと工房に現れて、タマネギをどっさり置いていってくれた。
takashi

半月

 Michel Camiloの”LUIZA”が終わったところで音楽を止めると、

すっかり日の暮れた窓の外からウシガエルの太く低い声が一層大きく響いてきた。

あの体のどこでこんな声を響かせているのだろう。
工房の戸締まりをして外に出ると、目の前を二匹のタヌキが横切り、
向いの竹やぶの中に駆け込んで行った。
池の上の空には、うっすらと雲に覆われた半月の柔らかな光が広がっている。
深く、静かな夜の始まりだった。
僕は少しためらいながらバイクのエンジンをかけ、家路についた。
takashi