ラウテンクラヴィーア演奏会

 先日、近所のカフェ&ギャラリー寺家スタジオで行われたラウテンクラヴィーアの演奏会に行ってきた。奏者はチェンバロ演奏家で、製作者でもある山田貢先生だ。

ラウテンクラヴィーアは、リュートの響鳴体を持つガット弦のチェンバロで、バッハも愛用していたというが現存する楽器はなく、僅かな資料が残るだけの幻の楽器だという。80歳になる山田先生は長年僅かな資料からこの楽器を研究され、自ら復元し、演奏をしているラウテンクラヴィーア研究の第一人者だ。

もともとは、先生が散歩の途中、たまたま僕たちの工房に立ち寄っていただいたことがきっかけで知り合った。いろいろなお話を聞かせていただくうちに、その物語の世界から飛び出してきたような、どことなく空想的な佇まいにすっかり魅せられていた。

チェンバロ
チェンバロを囲むように椅子が配置された会場はとてもあたたかな雰囲気に包まれていた。それにしてもこんなにチェンバロが似合う演奏家が他にいるだろうか。山田先生ご自身の世界観がチェンバロのもつそれとぴったりあっている。それはバロック時代を思わせるとかそういうことではなく、現代において、この場所で、とても自然に調和している。
音楽にとって(音楽に限らず全ての表現においてかもしれないけれど)一番大切なのは世界観だと思う。どんなにテクニックのある演奏でも世界観がなければそれはただ正確な音の羅列に過ぎず、全く心に響いてはこない。
二時間ほど、山田先生のあたたかな世界にとっぷりと浸って、充ち足りた気持ちで工房に帰る。一歩間違えばすれ違うことすらなかったかもしれない。偶然の積み重ねの途中で思いがけず出会えたことがとてつもなく幸運なことに感じる。
takashi

ゆうゆう散歩

先日、half moon furnitureがテレビ番組で取り上げていただけることになり、撮影があった。
出演させていただくのは「若大将のゆうゆう散歩」という番組で、加山雄三さんがhalf moonの工房に来ての撮影となった。

撮影の中での加山さんのお話でとても印象に残っているものがある。子供時代、茅ヶ崎海岸沖に見える烏帽子岩までどうしても行ってみたかったという。あそこまでいくには船がいる。それならばと早速模型作りから始め、試行錯誤を繰り返しながら船作りを始めたのだそうだ。それが今の加山さんの船舶設計の原点だという。
やりたいことがあって、必要なものがある。持っていないから自分で作る。極めて自然で、純粋なものづくりの衝動だと思った。
takashi

小学生たち

僕たちの工房に小学生たちがやってきた。

先月の寺家回廊の時に近所の小学校の先生が見えていたそうで、後日ご連絡をいただき、二年生の「町探検」というプログラムで子供たちを工房に連れてきたいとのご相談をいただいた。
家具工房、陶芸作家さん、パン屋さん等、様々な候補地から子供たちが行ってみたい場所をそれぞれ選んで訪ね、普段なかなか触れ合う機会のない職業の人達と交流するというものだそうだ。
子供のうちからさまざまな価値観で生きている人達と触れ合うことはとても有意義なことだと思う。僕は特に、ものづくりの場が子供たちにとってもっと身近なものになるといいな、と常々思っているので喜んで引き受けることにした。
今回、half moonを選んでくれた子供は10人。(全ての候補地で一番多かったらしい。それだけでもうれしい。)さっきまで静かだった工房に子供たちの元気な声が響き渡る。中には半袖、半ズボン姿の子もいた。そんな姿になんだか安心する。
子供たちは普段見慣れない木工機械に興味津々。実際に機械を回して加工してみせると大興奮。
機械で切った小さな木片をみんなに上げると大喜び。
「どうする?帰ったらみんなに自慢する?内緒にしておこうか。」
なんて相談していた。
材料としてのザラザラの木、家具になってツルツルに仕上げたもの。それぞれ触らせてあげると
「これがこんなになるんだ! 気持ちいい。」
みんなで仕上がった家具にしがみついていた。
物があふれていて、必要なものを自分で作るという機会が極端に少なくなった今の時代、大人であっても、人の手で材料が加工され物が作られているということをきちんと想像できる人は少なくなっているのではないかと思う。
最後に昨日たまたま工房の軒から取った蜂の巣を見せる。気持ち悪がるかなと思ったけど、全然そんなことはない。みんな手にとって観察していた。
30分ぐらいの予定がいつの間にか1時間近く経っていた。
帰り際、誰かが言った。
「half moonに来てよかった!」
なんて嬉しい言葉だろう。
僕たちにとっても新鮮で、楽しい時間になった。
今思い出しても温かい気持ちになる。
takashi

「寺家回廊」ありがとうございました

 
家具工房
寺家回廊にお越しいただきまして、ありがとうございました。
今年もたくさんの方々とお話でき、とても充実した楽しい3日間でした。

10月より第4日曜日は工房をオープンしていますので、お気軽にお越しいただき

小物や家具をご覧頂ければと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

HALFMOON FURNITURE WORKSHOP
小栗 崇/久美子

虫たち

工房で作業していると、
「こんなところで何をしているんだい。」「おっ、なんだこいつは。」
とわたしの旦那さん-takashi がなにか小さなものに話しかけている光景をよく目にする。
その視線の先にいるのは「昆虫」だ。
 
ときどき、いや毎日わたしたちの工房にはいろいろな種類の虫たちが遊びにくる。
 
まるで葉っぱではないかと思うような虫。
とっても小さいカマキリのこども。など。
珍しい虫がくると、そっとカメラを取り出し、2人で仕事も忘れて観察する。
小さな体からでてくる「生命の力」。その不思議な世界に引き込まれていく。
 
小カマキリに会ったときなんか、takashiは「かわいい。かわいい。ちっちゃくてもカマキリの形だよ。」なんて興奮して、じっと見つめている。

まるで葉っぱに見える虫。
製作中の家具の上に突然現れた、8mmほどの大きさのカマキリ。
先日、古本屋で2冊の本を見つけた。
「昆虫読本」「日本昆虫記」
昭和16年発行だから、もう75年以上前の古い本である。
古い本を片手に楽しそうに読んでいるtakashi。
「蝶の蛹(さなぎ)は、木の上にあるものは緑色に、板塀にあるものは茶色、石の上にあるものは灰色になるんだって。」
外敵から身を守る生命の力。
これから、益々この魅力に引き込まれていきそうだ。
kumiko

久しぶりの、、、

随分久しぶりの更新になってしまった。

という書き出しだけはしないと決めていたのに、こう書かないわけにはいかないほど長く明けてしまった。
先日、いつも良くしていただいているお客様から電話を頂いた。
あまりに長い間ブログが更新されていないので、僕が入院でもしたのではないかと心配していたとのことだった。大変申し訳ない気持ちになる一方、いつもこのブログを見てくださって、気にかけていただいていたということがとても嬉しかった。
この二ヶ月間、夜中まで工房で作業する日々が続き、空が白み、鳥が声が聞こえ始める頃にようやくベッドに入るという日も何度もあった。
工房の周りの田んぼの緑は日々深くなり、夜には蛍が飛び交った。それもいつの間にかいなくなり、池のほうから響くウシガエルの太い声が次第に大きくなってきているように感じる。
製作はそれぞれお客様の想いの詰まった印象深いもので、とても充実した日々だった。
さかのぼる形になってしまうけれど、追って一つずつ紹介させていただきます。
takashi

角のみ

 「角のみが動かなくなった!」

突然、工房の向こう側から声が聞こえた。近づいていくと、材料にノミが刺さったまま
動かない状態でいる。

角のみとは木工機械の一つで、ホゾ穴加工をしたりするためのものである。
木工機械のなかでも、優しいタイプの機械で私は大好きな機械の一つ。

硬いナラ材を加工していたせいか、刃物を上下させる棒が完全に緩んで、棒を動かしても何も反応がない。。。時間はもう夜の9時を回ろうとしていた。

「どうしよう。加工しなければいけないものがあるのに…納期もう少しだな…」
そんな雑念を消し、二人でなんとか直す方向にあれこれと話しながら、機械をのぞく。

わたしは木工を初めて学んだことがひとつある。
なにかにぶち当たったとき、いかに解決するかを考えることだ。
ものを作ることは、何かと問題が発生しどうすればよいかを常に考え、その導いた
考えをもとに手を動かす。そしてその方向が間違っていれば、即別な方法を考え、また手を動かす。

まず、この機械はどのような仕組みで動いているのかを考え、
そこからなぜ動かないか、どこの部分に原因があるのかを追求していった。
決して楽しい状況ではないはずなのに、あれこれやっている状況になぜかわくわくしている
自分がいた。

「なんかフィジーみたいだなぁ。」

隣で、takashiがぽつりと言った。
彼は2年前フィジーで木工を教えていた。フィジーに行く前に聞いていた情報
とは違い、多くの機械が動かない状況で、まず機械を直すことから始まった話を思いだした。

一時間ほど経過しただろうか。
二人でこうじゃないか。ここ持っているから覗いてみて。
角のみが動かない原因に少しずつ近づいていった。なんとか、部品の一部を取り外した。

「あっ、やっぱり。」

予想していた通り、部品の一部であるステンレスの棒が完全に折れていた。
原因がわかれば、あとはそれを直すのみ。
少しほっとし、その日は帰宅した。翌日、となりの金属加工をしている小沢さんに
ステンレスの棒をもらい、機械は元通り動くようになった。

すべてを含めやはりものづくりは面白い。

kumiko

いつのまにか工房の周りの桜も満開。四月ですね。
 
わたしは北海道育ちなので、雪が溶け始めてアスファルトが半年振りに
顔を出すのが楽しみで、春が大好きでした。
ここ最近花粉症になり始め、今年はもさもさした雰囲気の春。
目がかゆく、鼻もむずむず。のどまで痛い。。。
わたしの育った北海道には杉花粉がないで、こんな気持ちで春を迎えるのは初めて。
 
でも、やはり何かが動き出している感じの春はやはりいいですね。
 
最近、桜材やチェリー材で家具を作りたくなっています。
春のせいでしょうか。
時間ができたらチェリー材を使って家具を作ろうと思っています。
前から考えていた土を一部に取り入れて。現在、構想中です☆
 
工房では、以前から取り組んでいる本棚を製作中です。
いつもは家具を置いているスペースも、今は作業場と化しています。。。
 
HALFMOON FURNITURE WORKSHOPも始めてから1年。
少しずつではありますが、ホームページからのお問い合わせや、ご近所の方からのご依頼も増えてきました。
一年前にここにきて、新たな気持ちでこの工房を始めたときのことを思い出します。
これからも、そのときの気持ちを忘れずに、日々丁寧に色々なことに挑戦し、取り組んでいきたいと思います。
 
2年目もよろしくお願い致します。
kumiko
 

Raindogs

 ラジオから流れてきたアコーディオンのイントロに作業の手が止まった。Tom Waitsのraindogsだ。
ちょうど日が暮れ始めたころだったこともあり、窓の外の風景は一瞬にして彼のファンタジックな世界観に支配された。Tom Waitsの声の向こう側でマークリボーのギターの音がその物語の世界に道筋をつけるように鳴っている。

たった2分58秒、空想と現実の間の知らない場所を少し散歩してきたような感覚だった。
大好きで度々浸りたくなるTom Waitsの世界。ふとした時に思いがけず出会うのもいいものだ。

takashi

去年、別の目的で足を運んだ日本の手しごと展の会場でたまたま目にとまった手作りの鋏。
そのシンプルで品のある形、金属の重厚でいて温かみのある色味に見とれていると、その日
たまたま会場に来ていた作家さんご本人が話しかけてきてくれた。

僕と同世代ぐらいのその作家さんは、兵庫の「多鹿治夫鋏製作所」という手作り鋏の製作所の四代目で、量産のものが溢れたこの時代に、より多くの人に手作りの鋏を知ってもらい、使ってもらうことを目的に「TAJIKA」というブランドを立ち上げて作家活動をされているという。日本の職人は高い技術は持っているけれど、自分が前に出て発信してゆくことを嫌う傾向がある。だけどもう昔のように職人は影に引っ込んでいい仕事さえしていれば良いという時代ではなく、職人本人が前に出ていって、きちんと作られた良いものを少しでも多くの人に知ってもらう努力をしていく必要があると彼は考えている。
確かにそうだと思う。そうしないと本当に良いものが世の中から消え去り、日本は発展はしているけれど文化レベルの極めて低い国になってしまう。

うーん、この鋏欲しい。確かに一般的な鋏のイメージからすると相当高い。でも作る手間を想像すると決して高くないことも理解できる。そしてこのクオリティ。手にとってみると、その動きが本当に心地良い。特に刃物を閉じきる時の感触。完璧に調整されている。だけど、こんなにいい鋏が僕に必要だろうか。家具作りには使わないし。。。
僕たちは渋々その場を離れた。

会場を一回りして、帰ろうとエスカレーターで階を下っている時、ふとイメージできてしまった。工房の手道具がかけてある壁に一緒にあの鋏がかかっている姿が。居場所がイメージできてしまった以上、必要かどうかなんてもうどうでも良い。気がつくと下ってきたエスカレーターを引き返し、急ぎ足で(なにも急ぐ必要なんてないのだけれど)TAJIKAさんのところに戻っていた。

その鋏が僕たちの工房の風景の一部になってもう一年近く経つ。今でもときどき手にしてその向こう側に広がる世界を想像する。それは僕にとって日常の中の幸福なひと時になっている。
ちょうどお気に入りの本を本棚の片隅に持っている幸福感に似ている。
この度、大切な人への贈り物にこの鋏を新たに注文することにした。

takashi

 

 

atelier gallery

その空間に入った瞬間、外の世界とは全くちがう、そして時間の感覚さえ失う。
静寂さの中に弦楽器であろう音楽が流れている。
この神聖さはなんだろうか。
 
私たちが初めてここに訪れたのは一昨年の12月。
金属でものをつくる作家のアトリエギャラリー。初めて作品をみたとき、これが人の手で成し得る技なのか。。。と目を疑うほどだったことをいまでも忘れない。
ここの空間に入ると、言葉がでてこない。
作品の意味やつくりかたを考えることなんて、ここではナンセンスな気がさえしてくる。
作品そのものの存在が謙虚に主張している。そう、自然の木々や植物がそうであるかのように。
 
そこにある光、音、作品たち・・・すべてをゆっくり味わい、
いつか、彼の作品を自宅に飾りながら、美味しいコーヒーを旦那さんとゆっくり飲むことが
できるようになりたいな。
いや、まだまだ私たちには早すぎる。。。と思いつつ、アトリエを後にした。
kumiko

雪の日はいつもより時間がゆったりと流れているような気がする。
何をするにもひと手間増えるからその都度立ち止まる。必然的に動きが遅くなってちょうど良い。
車を動かす前にタイヤのまわりの雪を少し掘ったり、ガラスの雪を落としたり。雪にうまり、
手が冷えて、いつもなんとなく通り過ぎていく時間にもいちいち現実感が沸く。
そして、みんなそれぞれ何かを諦める。お気に入りの靴を履くのを諦めたり、寄り道を諦めたり。
お店をいつもより早く閉めたり。
僕も今日、納品を一件諦めた。その代わり工房での作業の合間に、コーヒーを淹れ、トムウェイツ
をかけて、いつもより少し長く窓の外の森を眺めた。
贅沢な一日だ。

こんなことを言うと、北海道出身の妻に
「雪のある生活はそんなのんきなものじゃない。」
と叱られそうだけれど。。。

takashi