チェンバロ奏者

 ふと思い立って、少し緊張したけれど、電話をかけてみた。

「どうぞ、是非いらしてください。お待ちしてます。」

突然の電話にも関わらず、チェンバロ奏者の山田貢先生はいつもどおりの柔らかな口調でそう言って、
お宅までの道順を丁寧に教えてくれた。

チェンバロ

妻と二人で約束した時間にお宅にお伺いすると、先生ご夫妻がそろって出迎えてくれた。
久しぶりにお会いする奥様もとてもお元気そうで、人懐っこい笑顔を見せてくれた。

リビングに入ると、北欧やイギリスの古い家具たちが配置され、その奥には4台のチェンバロが
並んでいた。
奥様は、「この椅子は昔近所で拾ったものなのよ。」とか、
「このソファはクッションがもうダメなんだけど、張り替えると高いでしょ。
でも気に入ってるから捨てられないし、このまま使ってるのよ。」とか、
長年大切にされて、さまざまな物語を持った家具たちをひとつひとつ、家族を紹介するように
嬉しそうに紹介してくれた。その言葉からはものへの愛情と幸福感がにじみ出ていた。
そして奥には4台のチェンバロ。なんとわくわくする空間だろう。
今度は先生がチェンバロを1台ずつ引っ張り出しては蓋を開け、音を出して、作りや
その楽器との出会い、それぞれの物語を聞かせてくれた。それにしても山田先生ほど
チェンバロの似合う人は他にいないのではないかと思う。楽器の持つバロック独特の雰囲気
と先生からにじみ出る世界観が見事に調和している。それは長年向き合ってきたチェンバロ
を通して先生が旅し続けているバッハの世界から流れ込んでくる空気のせいだろうか。
先生ご自身が研究、復元されたラウテンクラヴィーアは調整中でちゃんと音を聴くことは
できなかったけれど、イギリス人によって製作された二段鍵盤のチェンバロの前に座り、
僕たちの目の前でバッハを演奏してくれたとき、その音はとてもあたたかく響いていた。

チェンバロ チェンバロ

その後、僕たちはダイニングに移り、奥様の淹れてくれたお茶を飲みながらご夫妻の昔話に
耳を傾けていた。
先生の学生時代、まだ日本にはバロック音楽が広まっていなく、チェンバロもほとんど
なかった時代、バッハが大好きで、チェンバロで作曲されたはずのバッハの曲をピアノで
演奏することに疑問を持ち、どうしてもチェンバロを勉強したくて、NHKへの就職を蹴ってまで
留学を決意して就職担当の先生にひどく罵られ、それでも最終的には後押ししてもらった話。
たまたま聞き知った留学生募集の話から、気軽な気持ちでセーターにつっかけという姿で
自転車に乗ってオーストリア大使館に願書だけを貰いに行ったつもりが、そのまま大使と面接
することになり、その場で留学が決定してしまった話。奥様の運転で楽器を運びながらの演奏
旅行の話。17年生きた大切な飼い犬の話。病気をされた時の話。
奥様が話し始めると先生はじっとその話に耳を傾け、しばらくするとそこから先生が続けて、
話はどんどん広がっていった。どんなに大変だったことも面白おかしく話すお二人の物語に
僕たちは大笑いし、時間を忘れて聞き入ってしまった。

外に出るとさっきまで高かった陽はもう暮れ始めていた。寺家町に工房を開いてもうすぐ一年、
とても貴重な出会いに恵まれてるなと思う。

先生はこの春、久しぶりに演奏会を開く予定だという。80歳になられてさらに追求し、
楽しそうに前に進んでいる姿にこちらの方がエネルギーをいただいてしまった。
これから楽しみだ。

takashi