猫拾う

 

なぜか僕は猫の死に目によく会う。

車で走っていると道の真ん中に猫が倒れている。道を横切ろうとした猫が、僕の前を走っている車に目の前ではねられたこともある。道の真ん中だし、そのまま立ち去るのも気が引けて車を停めて近づいてみる。いやだなと思いながら。生きていたらいやだなと。でもいつも、まだ生きている。生きてはいるけれど助かる可能性は間違いなく無い。ただ、道の真ん中ではいくらなんでもかわいそうなので、端に寄せて、死ぬまで待つことにしている。お腹でもさすりながらただ死ぬのを待つことにしている。高校生の頃だったか、近所のおばさんがそうしていたところを見て以来、真似しているだけだけれど。

 

今年の春、それと逆のことが起こった。そしてこんな時こそどうすべきなのか、難しいと思った。

工房への帰り道、たまたま立ち寄った畑道の自動販売機。畑の方から仔猫の鳴き声が聞こえていた。野良猫の仔かと思い、見回してみたけれど姿が見えない。でも間違いなく近くにいる。水路にでもはまって鳴いているのかと思い、覗いてみたけれど見当たらない。ふと畑脇の側溝に目を向けると、手提げ袋が目に入った。嫌な予感がした。このまま立ち去ろうかとも考えたけれど、袋を開けて覗いてしまった。

 

 

見たこともないくらい小さな(ネズミぐらいの)三毛の仔猫が鳴いていた。目も開いていない。この後、雨になるという予報。やっぱり見なければ良かったとも思った。これが野良猫の仔で母親が近くにいたとすれば、例えこのままでは生きられないだろうと思ったとしても、わざわざそこから連れ去ることはしない。でも、これは明らかに人が捨てた仔猫。間違いなくこのままでは近いうちに死ぬ。きっと一晩で死ぬ。とにかく連れて帰った。連れ帰ったは良いけれど、どうしよう。。元気よく鳴いてはいるけれど、ミルクも飲まない。猫を飼っている友人に相談したところ、生まれたての仔猫を育てるのは難しいとのことで、獣医さんに相談してみたほうが良いと紹介してもらった。一晩なんとか面倒を見て翌朝、友人から紹介してもらった「さかい犬猫クリニック」に連れて行った。とても親切な獣医さんで、自分のことのように考えてくれた。今のところ健康に問題はなさそうだけれど、やはり小さすぎて人の手で育てるのは難しく、子育て中の猫に混ぜてしまうのが一番良いのではないかという。知り合いの保護団体にあてがあるとのことですぐに連絡を取ってくれて、無事に受け入れてもらうことができた。それでもちゃんと育ってくれるかどうかはなんともいえないというけれど、とりあえずはほっとした。さかいさんは診察代も受け取らなかった。

 

それにしても、どういう事情で捨てたのかは知らないけれど、どうしてあんな誰にも発見されそうに無い場所をわざわざ選んだのだろうか。いざ捨てようとすると人目が気になって、だれも通らない畑道を進んだのか。その場から立ち去るときどんな気持ちだったのだろう。この後雨の予報。ダンボールでもなく、紙袋でもなく、ただのビニール袋でもなく、ビニールでコーティングされた手提げ袋に入れて口をしっかりと折り返していたところを見ると、雨にぬれてしまってはかわいそうという気持ちがあったのだと思う。心を痛めながらその場から逃げるように立ち去ったのか。たぶん気になって様子を見に戻ってきたことだろうと思う。そして袋がなくなっていることに気付いて、安心しただろう。でももし、僕が拾っていなかったら、いたたまれなくなった飼い主が思い直して親猫のところに連れて帰っていたかもしれない。もしそうならそれが仔猫にとっては一番良い結果になったのではないかとも思う。そう考えると僕が連れて帰ったことを後悔する。放っておけずに持ち帰ったものの、結局どうすることもできず僕がまた捨てに行かなければならないということだってありえたかもしれない。自分で責任を持てないことをするべきではないのか。考えるほど、気持ちの良いものではない。

 

 

あれから半年、保護団体スタッフの方々の献身的なお世話のおかげで無事に離乳して、手を上げていただいた里親さんの元に渡り、家族の一員として元気に育っている。

たまたまが繋がってなんとかなったけれど、そうでないことがたくさんあるんだろうと思う。

 

 

takashi