もったいない

もったいない、もったいない、って言っているうちに本末転倒、結局一番もったいない結果になることがよくある。

良い木材が手に入って、もったいなくて削れない。使えないまま何年も何にもならず、ただそこにあるだけ。結局もったいない。

 

そういえば僕の祖父さんもいつももったいないと言っていた。ある日、ラーメン屋で残したラーメンがもったいないとビニール袋に入れて持って帰ってきた。その後、それを誰かが食べたのかどうかは知らない。亡くなる直前まで、もったいなくて死ねないと言っていた。

 

この仕事をしていて、特にテーブルを作ったとき、お客さんからご相談を受けることが時々ある。傷つけたり、汚したりするともったいないからテーブルクロスを敷いたほうが良いのではないかと。そんな時僕はいつも、せっかくの無垢の板を覆ってしまうのはもったいないので、多少のキズや汚れがついたとしても、それも含めてそのままの木の風合いを楽しんでいただきたいとお答えしている。それは極めて一般的で一方向的な価値基準だけれど、やはり木の手触りや、使い込むことで増してゆく風合いは何にも変えがたい魅力がある。そしてその素材の魅力を存分に楽しんでいただきたいと心から思っている。それを覆ってしまうのではやはりもったいない。

 

だけど、先日僕のそんな一般的な考えを見直すことになる少し「衝撃的」な画像が送られてきた。

僕の幼なじみの友人の実家で30年以上使われてきたダイニングチェアの座面の張り替えをさせていただいた。ご家族の思い出の詰まった4脚の椅子。古いけれど木部はまだまだしっかりしていたので買い換えてしまうのはもったいない。座面と背もたれを茶色の布に張り替えてお戻しし、とても喜んでいただけた。

 

それからしばらく経って、僕の友人からその椅子の写真が送られてきた。

「これ、おかしいよね?」

という言葉とともに。

 

 

張り替えた座面と背もたれにはそれぞれ別の布が被せられていて全く見えない。常にこの状態で使っているらしく、友人は張替え後にも何度か実家に帰り、座っていたのに、張り替えたことにすらしばらく気が付かなかったという。

 

その写真を見たとき、確かに「おかしいよ。もったいないよ。」と思った。でもその直後、このまま食事をしている様子を想像してみると、その姿がなんとも可愛らしく、なんだかうれしいような、暖かな気持ちになってきた。

ひとつもおかしくなんかない。こういうのも一つの価値観として素敵なことかもしれないと、すぐに思い直した。

家具の価値って何だろうと思う。格好良さ、使い勝手や心地の良さ、思い入れ、そのものが持つ物語。いずれにしてもそれらは個人的な価値観にもとづいたもので良いのだと思う。本人にとって絶対的なものであればそれ以上のものはない。そして、本当に大切なものは常に見えるところに置くとは限らない。

そのお客様にとってこの椅子たちは、様々な思いの詰まったとても大切なもの。張り替えられて綺麗になった座面に直接座る心地良さはもちろんあるけれど、それ以上に新しく張り替えられた座面を汚さないよう、傷めないように保護して、これからまた長く使っていけるという事実の方が大切なことであり、希望なのだと思う。

どんな本や雑誌を見ても決して載っていない、どんな流行の受け売りでもない本人だけの絶対的な価値基準。素敵だと思う。

今まで全く視線を向けることがなかった方向に目を向けさせてもらったような、ハッとさせられる出来事だった。

 

takashi