仕上げについて

比較的真面目に家具作りをしているつもりでいる。基本的には古くから受け継がれてきた正統的な技法を使って作り、仕上げている。無垢の木をカンナで削った木肌に現れる複雑な色味や深い艶は見飽きることがない。

一方でそうやって作った家具は堅い印象にもなりやすい。もう少し自由な雰囲気が出せないものかと思うことがよくある。

 

以前、ショールームの床材を自作した時、バンドソーで製材した際に付いた鋸刃の跡を削り落とさずにそのまま残して仕上げてみることにした。当初は木目と直行して無数に走る鋸刃の跡のテクスチャーがおもしろいのではという狙いだったけれど、実際に床に敷き詰めてみるとそれよりもその凹凸による光の反射にとてもおもしろい効果があった。正確には反射というより吸収。柔らかく光を含んで、ふわっとした質感に感じられた。

これを応用して家具の仕上げにも使えないものかと模索している。カンナで平滑に削った艶やかな仕上げとは全然違う無垢の奥行きが生まれるのではないかと思っている。

 

studio gdのデザインで現在進行中の三軒茶屋OBSCURA COFFEEの新店舗。今回その家具を担当させていただいている。

計画段階から全体の雰囲気のイメージとして「土っぽい素材感」というキーワードが上がっていた。それならここのところ模索している無垢の荒さを残した仕上げ方が合うのではないかと考え、実際の材料でサンプルを作って提案したところ、とても気に入っていただいてこの方向で進めることになった。

同じ豆でも精製方法や焼き方で全く別の魅力を引き出すコーヒーの世界。アイデア次第で木もそれに近い活かし方ができるのかもしれない。

 

ナラ無垢材

 

ラワン無垢材

 

ラワン無垢材

 

takashi

 ホタル 寺家ふるさと村

 

少し前のこと、

雨が上がるのを待ちながら切りの良いところまでと思って作業をしていたら、いつの間にかすっかり日が暮れていた。

めずらしく妻と一緒に木の子の散歩に出かけることにした。

 

寺家スタジオの方から川沿いの道に降りてゆく。川に沿って雨上がりのひんやりと湿った風が流れていた。時折木の子は立ち止まって、少し背伸びするように空中に鼻を持ち上げ、風に乗ってくる匂いに意識を向けている。しばらく川沿いを歩いて、用水路に沿って田んぼの方に向かった。

ふと水路脇の茂みに目を向けると1匹の蛍が涼しげな光を灯しながらゆらゆらと舞っていた。もうそんな季節か。僕たちはもう少し奥のふるさと村の田んぼの方まで行ってみることにした。思った通り、真っ暗な森に蛍の強い光が舞っていた。僕たちが夢中になっていると、木の子はつまらなくなったのか、自分でハーネスを抜いて田んぼの方に走って行ってしまった。真っ暗でよく見えないけれど、「ちゃぽん」と、水に入る音が聞こえた。あああ、水路に入って遊んでいるらしい。しばらくすると僕たちの前を勢いよく横切る影。そのまま今度は森に入って行った。自由人。

 

先日、open日に工房に来てくださった方が、こんな環境で日々家具作りをしている僕たちを見て「幸せを手に入れましたね!」なんて言っていた。その時はずいぶん大袈裟なことを言う人だななんて思っていたけど、確かにそうかもしれないとも思えてくる。当たり前のこととして日々季節が移ろい、それを日常の中でほんの身近に感じられる。それはとても幸福なことなのかもしれない。

 

takashi

イエティ

イエティ

 

 

あの人に会わなければ僕はたぶん一生イエティの存在には気が付かなかったと思う。

 

あの人にとっては、何年か前に偶然入ったネパールのカフェで働いているイエティに会ったのが最初らしい。その時は、あまりの嬉しさにイエティが着ていたカフェのスタッフTシャツを買って、イエティと一緒に記念写真を撮ったのだそうだ。

僕は今までどこかのお店のスタッフTシャツを買ったことは一度もないし、買いたいと思ったこともない。普段誰かと記念写真を撮ることもまずない。

でも、外国でふらっと入ったカフェでイエティが働いていたら、やっぱり僕も同じことをするような気がする。

 

この前、あの人がイエティを作ってくれた。それを見ていてはっとした。何もネパールのカフェまで行かなくても、実はイエティはいつもすぐ近くにいるのかもしれない。そういえば時々腰のあたりに大きな手の温かい感触を感じることがある。近すぎて今まで気が付かなかったけれど、本当に大切なものはすぐ隣にあるのかもしれない。たぶんあの人にはそれがはっきりと見えるているんだと思う。

 

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小さな友達

 

うちに木の子(犬)が来た頃だから、もう4年半前ぐらいになる。

 

打ち合わせから帰って来たら、工房の近くに住んでいる女の子が入り口に展示してある1人掛けソファにぽつんと座っていた。近所で何度も見かけてはいたけれど、お話しをしたり工房に来たのは初めてだった。

 

「ここにはもう一人いるよね。おんなのひとが。」

木の子を可愛がりながら、ぽつりぽつりと会話をしつつ私の帰りを待っていたらしい。

 

それから、その女の子はよく工房に顔を出すようになった。木の子とも仲良くなり、木の子と2人で探偵ゴッコをしていたり、みんなで散歩に行ったり。驚くほど手先が器用で、工房に来ては木の端材で色々なものを作っていた。サイコロのような形をした"さっぽろくん"の船や飛行機本当にたくさんのものを自由な発想で作っていた。 

 

仕事に追われる日々の中、私にとって彼女との時間は楽しみにもなっていた。

 

そんなあるとき、「椅子を作ってみよう」という話になった。どうしてそうなったのか忘れたけれど、彼女の器用さなら作れるのではないかと思ったのは覚えている。まず、どんな椅子がいいか絵を描いてもらった。それを元に、大きさを決めて図面を描いた。私が描いたものを説明し、本人に一から描いてもらう。そして、使う樹種を選び、部材の寸法出しも一緒にした。

 

木造り(材料を必要な寸法に加工すること)はこちらで行い、ホゾの加工はノコギリと鑿を使って本人にやってもらう。椅子はだんだんと形になっていった。チェリー材でつくり、背中が当たる板はメープル材。背をつける位置も女の子に聞いて、彼女の持っている"いい"と思う感覚をできるだけ大切にした。座面貼り、仕上げ、塗装までやり遂げ椅子は完成した。

今、その椅子は遠く離れた大好きなおばあちゃんの家にあるという。

 

 

そんな日々の中、女の子のお母さんがあるとき工房に来た。

キッチンスツール 2脚お願いしたいと。

 

「家にいつも"たかちゃん""くみちゃん"がいるみたいだから」

 

女の子が笑顔で言ってくれた。

 

 

あれから2年以上。

小さな女の子と会うことも見かけることもほとんどなくなった…

でも彼女はわたしにとって大切なことを思い出させてくる、今でもかけがえのない友達だ。

 

 

 

 

          

    ひこうきに乗った 「さっぽろくん」

 

kumiko

 

 

 

先日、1111日。

女の子のお母さんがエッセイを出版した。毎日のように工房に来てくれていた女の子とその弟と妹、3人が不登校になり、そんな子供たちとの日々を綴ったエッセイ。

 

「ママの背中は竜巻だ!!」あらい さゆり

 

物語のような、この辺りの風景も想像できる温かい内容です。わたしたちのお気に入りの本が一冊増えました。

 

 

頼りない天使

犬と一緒に暮らすようになってからもうすぐ4年になる。思い返せばその間、ほとんどの時間を一緒に過ごしてきた。あっという間だったなと思う反面、もっともっとずっと前から一緒にいたような気にもなる。

僕は子供の頃から家には犬や猫のいる環境で育ったので、犬と一緒に暮らすということがどんなものか、ある程度わかっていると思っていた。でも、実際に自分で犬を迎えてみると全く違っていた。それは僕が知っていたものよりもずっと楽しいことだった。犬は「天使」のようだと思う。とは言っても僕は天使のことをよく知らないので、ただのイメージだけれど。たぶん、どんな犬も飼い主にとって「天使」のようなのだろうと想像する。とにかくその純粋さにいつもハッとさせられる。常に真っ直ぐに、怒って、笑って、怯えて。全力で走って、食べて、うんちして、眠る。

うちの犬は結構野性味を残したそこそこ大きな雑種で、獣を見れば本気で追いかける。工房の前でハクビシンを捕らえたこともある。山の中を散歩すれば、茂みの中の生き物の気配に夢中になって突進してゆく。この頃は、僕たちには全く感じられないけれど、土の中ではもう春の動きがあるのか、土を掘ったり、茂みに入ったり、興奮気味だ。

そんな野生の感度を持った犬が夜になれば、僕たちの布団の中に入ってきて、全ての警戒心を解いて無防備に眠る姿は、まるで子犬のようだ。というよりむしろ熊のぬいぐるみのようだ。朝は僕たちが起きた後も一人で布団を被ってぬくぬくと眠っている。犬は早起きなものだと思っていたけれど、必ずしもそうでもないらしい。

強さと弱さと、成熟さと未熟さとを併せ持っていて、儚くも透き通った「頼りない天使」というイメージがぴったりくる。

FISHMANSを聴きながらそう思う。

 

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大切なもの

ほんの小さな修理の仕事だった。

だからといってお客様の想いが小さいということでは全く無いのだと改めて感じられるとても印象深い経験だった。

 

修理のご相談をいただいたとき、製作が混んでいたため実際に手をつけられるのは数ヶ月先という状況だった。それでも思い入れのあるものだからできれば直して使いたい、とお持ちいただいたのは座面の籐が破れてしまった2脚の古いスツールだった。

どんな想いが詰まっているのだろうか。長年に亘って暮らしの中にいつもあって、色々な記憶を含みながら宝物になっていったのだろうと思う。

 

 

「歳が歳だから怖くて外にも出られないの。」とても不安げなご様子だった。

庭先でお渡しした2脚のスツールを濡れ縁に並べ、慈しむようにしばらく眺めて

「こんなにきれいになって。 見違えるようだわ。 しばらくは使わないで眺めていようかしら。 今日はうれしくて眠れないかもしれない。」

とても静かに、ゆっくりとした口調で独り言のようにそう言った。

うれしかった。自分の仕事に満足していただいたことにではなく、その価値観がとてもうれしかった。そういう方に出会うと、ものを作る人間として安心する。ものの価値ってそういうものだと強く思う。

 

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レケティからの電話

メッセンジャーでビデオ通話の着信があった。レケティのナイオからだった。そういえば今日はラグビーフィジー代表が日本で試合をしている日だったか。

メッセンジャーにこんなこんな機能があったことをはじめて知った。ずいぶん世界が近くなったものだ。僕が住んでいた頃、レケティには電気が通っていなかった。発展途上国のそんな地域でもvodafoneがジャングルの中にアンテナをたくさん立てて、島中のほとんどの場所で携帯電話は使えるようになっていた。電気がないから充電の問題はあったけれど、通話機能しかなくあまりバッテリーを消耗しない小型のnokiaを使っていたので、発電機かソーラーでときどき充電してさえいればそれで充分だった。あれから8年、今ではレケティにも電気が通ったと聞いている。スマートフォンも急速に普及しているようで、インスタグラムやフェイスブックで多くの友人たちの現況をリアルタイムで知ることができるようになった。

 

予想通りナイオたちは、ラジオでラグビーの中継を聞きながらカバを飲んでいた。真っ暗なポーチで、ランタンの灯りひとつで地べたに座ってカバのボールを囲む光景があの頃と何一つ変わっていなかった。今はレケティにも電気が通っているはずなのに。

カバに酔うと光がとても鬱陶しくなる。心も体もどろんと地面に吸い込まれるような感覚で、話すのも面倒になる。酔いが回るにつれてランタンの光さえまぶしくなってどんどん火を小さくしてゆく。最後には蝋燭の火よりも小さく絞ったかすかな火を囲んで目を閉じてただ座っている。時折誰からともなくかかる「タロ」という低い掛け声を合図にカバを混ぜる水の音が響き、順番に回ってくるボールを飲み干してまた目を閉じる。何人もの大男たちが真っ暗闇で何時間もただ黙って目を閉じている。そんなことが毎晩、僕の家で夜中まで続いていた。それがレケティの日常だった。僕はそんな時間を結構気に入っていた。

 

 

あれは何時だったのだろうか。真夜中だったのか、朝方だったのか。一番最後に帰って行ったのがフランクとナイオだったことは覚えているけれど、そのあとどうやってベッドに入ったのかも覚えていない。開けっ放しの窓から差す朝の光で目が覚めたとき、まだ体にはカバが残っていてずっしりと重たかった。僕の家の裏のパパイヤの実がちょうど熟していたのを思い出して朝ごはんにちょうど良いと思って裏口を開ける。昨日まで間違いなくついていた4つの果実のうちオレンジ色に熟しているものだけが無くなっていた。また取られた。僕のパパイヤをいつも狙っているのは裏隣の家に住んでいるナイオだった。昨日の夜、帰りに採っていったに違いない。ここでは勝手に生えてきた植物でも、それは一番近くの家の住人に属すと考えられ、断りなしに取っていくことはタブーとされていた。だからそのパパイヤは明らかに僕のだし、裏口付近の地面に生えていたパクチーや唐辛子、表の椰子の木とナスも僕のということになっていた。それなのにナイオは僕のパパイヤを「俺たちのパパイヤ」と呼んで、いつも僕が採ろうと思っている直前(熟してから僕が採るまでの間)に勝手に採っていった。

その日はどうしても食べたかったので、ナイオの家に取り返しに行くことにした。どうせまだ寝ているだろうから起こしてやろうと。予想に反してナイオはもう起きて朝ごはんのロティを焼いていた。

「おはよう。中に入って朝ごはんを食べていけよ。」

あたたかい紅茶を淹れてくれて、焼きたてのロティと熟したパパイヤを半分。

そうそう、これ。でも、と思う。

ナイオには奥さんと子供が4人いる。僕がパパイヤを半分食べれば残りの半分を6人で分けることになる。まあ、そもそも僕のパパイヤなんだから別に良いはずなんだけど、、

「これは子供たちにあげてよ。」

いざとなると遠慮する僕に

「そんなこと気にするな。食べろ食べろ。」

と聞かない。

しばらくナイオと昨夜のカバの話をして過ごす。あれはムンドゥの畑で採れたカバで、レケティ産のカバの中でも特に強いものだとか、隣村からやってきた長身のパトゥが一番最初に潰れて逃げ帰ったこととか、フランクは相変わらず強かったとか(ここではカバに強いほど尊敬された)、いつもと何一つ変わらないどうでもいいような話題で2人で大笑いしていた。冷静に考えれば何にもおもしろいことなんてないのに、不思議ととても幸福な朝の時間だった。

取られたパパイヤを取り返しに来たことも忘れ、気がつけばそれ以上にご馳走になって、すっかりくつろいでいた。

 

電話越しのナイオのなつかしい声に思い出されるのは、特別なことは何も起こらない、日々繰り返されるなんでもない日常の風景だった。そして、そんな日々がこの8年間変わらずに繰り返されてきて、これからもきっとそうだろうことに安心する。

 

takashi

 

 

 

猫拾う

 

なぜか僕は猫の死に目によく会う。

車で走っていると道の真ん中に猫が倒れている。道を横切ろうとした猫が、僕の前を走っている車に目の前ではねられたこともある。道の真ん中だし、そのまま立ち去るのも気が引けて車を停めて近づいてみる。いやだなと思いながら。生きていたらいやだなと。でもいつも、まだ生きている。生きてはいるけれど助かる可能性は間違いなく無い。ただ、道の真ん中ではいくらなんでもかわいそうなので、端に寄せて、死ぬまで待つことにしている。お腹でもさすりながらただ死ぬのを待つことにしている。高校生の頃だったか、近所のおばさんがそうしていたところを見て以来、真似しているだけだけれど。

 

今年の春、それと逆のことが起こった。そしてこんな時こそどうすべきなのか、難しいと思った。

工房への帰り道、たまたま立ち寄った畑道の自動販売機。畑の方から仔猫の鳴き声が聞こえていた。野良猫の仔かと思い、見回してみたけれど姿が見えない。でも間違いなく近くにいる。水路にでもはまって鳴いているのかと思い、覗いてみたけれど見当たらない。ふと畑脇の側溝に目を向けると、手提げ袋が目に入った。嫌な予感がした。このまま立ち去ろうかとも考えたけれど、袋を開けて覗いてしまった。

 

 

見たこともないくらい小さな(ネズミぐらいの)三毛の仔猫が鳴いていた。目も開いていない。この後、雨になるという予報。やっぱり見なければ良かったとも思った。これが野良猫の仔で母親が近くにいたとすれば、例えこのままでは生きられないだろうと思ったとしても、わざわざそこから連れ去ることはしない。でも、これは明らかに人が捨てた仔猫。間違いなくこのままでは近いうちに死ぬ。きっと一晩で死ぬ。とにかく連れて帰った。連れ帰ったは良いけれど、どうしよう。。元気よく鳴いてはいるけれど、ミルクも飲まない。猫を飼っている友人に相談したところ、生まれたての仔猫を育てるのは難しいとのことで、獣医さんに相談してみたほうが良いと紹介してもらった。一晩なんとか面倒を見て翌朝、友人から紹介してもらった「さかい犬猫クリニック」に連れて行った。とても親切な獣医さんで、自分のことのように考えてくれた。今のところ健康に問題はなさそうだけれど、やはり小さすぎて人の手で育てるのは難しく、子育て中の猫に混ぜてしまうのが一番良いのではないかという。知り合いの保護団体にあてがあるとのことですぐに連絡を取ってくれて、無事に受け入れてもらうことができた。それでもちゃんと育ってくれるかどうかはなんともいえないというけれど、とりあえずはほっとした。さかいさんは診察代も受け取らなかった。

 

それにしても、どういう事情で捨てたのかは知らないけれど、どうしてあんな誰にも発見されそうに無い場所をわざわざ選んだのだろうか。いざ捨てようとすると人目が気になって、だれも通らない畑道を進んだのか。その場から立ち去るときどんな気持ちだったのだろう。この後雨の予報。ダンボールでもなく、紙袋でもなく、ただのビニール袋でもなく、ビニールでコーティングされた手提げ袋に入れて口をしっかりと折り返していたところを見ると、雨にぬれてしまってはかわいそうという気持ちがあったのだと思う。心を痛めながらその場から逃げるように立ち去ったのか。たぶん気になって様子を見に戻ってきたことだろうと思う。そして袋がなくなっていることに気付いて、安心しただろう。でももし、僕が拾っていなかったら、いたたまれなくなった飼い主が思い直して親猫のところに連れて帰っていたかもしれない。もしそうならそれが仔猫にとっては一番良い結果になったのではないかとも思う。そう考えると僕が連れて帰ったことを後悔する。放っておけずに持ち帰ったものの、結局どうすることもできず僕がまた捨てに行かなければならないということだってありえたかもしれない。自分で責任を持てないことをするべきではないのか。考えるほど、気持ちの良いものではない。

 

 

あれから半年、保護団体スタッフの方々の献身的なお世話のおかげで無事に離乳して、手を上げていただいた里親さんの元に渡り、家族の一員として元気に育っている。

たまたまが繋がってなんとかなったけれど、そうでないことがたくさんあるんだろうと思う。

 

 

takashi

 

 

 

 

 

 

 

ものに宿るちから

今年、我が家に”探検家のおじさん”がやってきた。人形作家の高橋昭子さんの作品。

 

 

この出来事は、私の心に奥にズシンと、経験したことのない感覚を与えるものだった。大げさかもしれないが、今までもそしてこの先も多くは経験しない類のものだと思う。

 

 

人にはそれぞれ宝物がある。

 

それは遠い記憶だったり、音楽や本、家族だったり。。十人十色だと思う。
このおじさんはものではある(私にとっては"もの"ではないが)のだけれど、単なるものではない。おじさんは、わたしを日常世界から別の遠いどこかへ連れて行ってくれる。それは遠い記憶の世界なのか、どこかなのかは私にもわからない。ただ、この世はいつも楽しく輝いているわけではなく、曇って見えるときもある。そんなとき、ふとおじさんを見つめると、一瞬そんなことを忘れて別な世界へ行っているときがある。何かわからないパワーを得られるような気分。不思議だなぁって本当に思う。自分の心を揺すぶる音楽を聴いたときや本の世界へ引き込まれたときの感覚に似ているのかもしれない。

そのちからは本当にすごい。宝物、そんな言葉で表現するものでもないのかもしれない。

 

 

そんな不思議なちからをもったおじさんをつく出す作家さんに私はずっと魅了されっぱなしだ。

感性。

言葉で理解している以上に、おじさんとの出会いは私に「感性」というものを教えてくれた。

 

 

本当に色々なことをわたしのところにもってきてくれた”おじさん”。

 

今年は、とても大切な仲間ができた。

 

酒井俊/田中信正デュオ

先日、横浜の「上町63」に大好きなミュージシャン、酒井俊さんとピアニスト田中信正さんのデュオを聴きに行った。

俊さんのライブに行くのは3年ぶり。前回も「上町63」での田中さんとのデュオだった。これまでにもサックスの林栄一さんを入れてのトリオ編成やバンド編成など観てきているけれど、3年前に観た、わずか15人程度しか入れないこの小さなお店での田中さんとのデュオがすばらしかった。無駄なものがなにもない、声とピアノだけ。そして演奏する2人の姿。俊さんの創り出す世界を壊す要素が何一つない完璧な空間で、会場の小ささも何も感じないほどその世界に引き込まれた。

 

それ以来デュオでのライブを待ち続けてきた。約一ヶ月の全国ツアースケジュールの中でたった一日だけデュオの予定があるのを発見したのが数日前。しかも横浜で。何とか時間を作って行くことにした。

 

俊さんの表現力は、日本人として世界に誇れるものだと思う。それはトム・ウェイツやニーナ・シモンと並んでも引けを取らないレベルだと僕は思う。その世界観は映画的であり、落語的であり、風景が浮かぶ。

そして、その世界を完璧に音にできるピアニストは田中信正さんしかいないのではないかと思う。演奏技術の高さはもちろんだけれど、それだけなら他にも良いピアニストはたくさんいる。それ以上に音とその姿で世界を作り出す表現力を持つ稀有な存在だと思う。2人の繊細さがかみ合ったときの引き込まれる力がものすごい。

 

この日も俊さんの声と田中さんの出す音は相変わらず、息が合っているなんていう言い方がふさわしくないぐらい、全く同じ世界から鳴っていた。歌からピアノソロ、ピアノソロから歌がこんなにも一つの流れとしてつながっていく演奏は、2人が完全に同じ風景を描いているとしか思えないほどだった。

 

こういう小さなお店でこれほどすばらしいライブを観られることは幸せなことだと思う。だけど、これほどの才能のある人たちが、広く一般的には受け入れられていないのかと思うと複雑な気持ちにもなる。

 

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